こんにちは、ひろ子ママです
子どもと関わったり、夫との関係を見直していたら、、、あっという間に6月が終わりますね
私の口癖は「疲れたなぁ」になっていて
なんでこんなに疲れるんだろう?と考えていたら
「愛する」の設定を間違えて
身を削って愛を注ごう!と頑張っているからなんじゃと気づきました
あなたは、愛すると言ったらどんなことを思い浮かべますか?
私は、自分が辛くても頑張って努力してできる限りのことをする!というなんとも自虐的な愛するの設定を持っていることに気づきました。。。
でも、この自分を削ってでも相手のために!をやると、子育てで悪影響があります
自分のことを差し置いてでも、子どもを楽しませるために頑張る私をやっていると
「頑張る」って限界がありますよね?
時間にも限界がありますよね?
それを超えてやっていると
3コマ目のように「いきなりキレる💢」ということが発生します。
「いきなりキレる」親と接している子どもは
なぜキレるのかわからず、
でも、キレている親は怖いので
従順になりすぎたり
いつも親の顔色を伺うようになります。
一方、愛するの設定を「私が笑ってできることを笑える範囲でやろう」にしてみると
はじめ子どもから不満が出るかもしれません。
でも、子供にもわかるように「これはできる、あれはできない」と説明していくことで
私には私の境界線ができ、子どももそれを理解できると
境界線を超えて私に要求するのではなく、自分でなんとか解決していこうという力が生まれてくるようです
思い切り優しくしてくれる時もあるけど、キレるめちゃくちゃ怖い親
と
線引きをしてできるできないがはっきりしている親
だと
どちらが子どもに良い影響を与えるかは、一目瞭然のような気がします
でも、でも、でも!!
「愛するとは、自分の身を削って相手に尽くすこと!!」を長年やってきたので
気づくと自分の身を削ってやっておりまして。。。
今日も家庭内で事故を起こしておりました。ハイ。。。
学校に遅れちゃうから、早くしなさい!と怒ってみたり
(学校に遅れて困るのは子どもであって、私じゃないのに、あなたが困ったら可哀想というのは、愛の押し売りだと思っております。ってわかってるけど、まだやってる)
最初は笑って包丁できゅうりを切っている次男を見てあげていたけど、時間切れになって急かして、その場は収めたけど、靴下を履かない次男に後になって怒ってみたり、、、
やらかしております
やらかしてはいるんですけど
気づいて、修正する
を繰り返す修行をしております。
私が笑える範囲で、笑えることができるの当たり前じゃんの道のりはまだちょっと長いひろこママでした
今日もみなさんお疲れ様です!