風見しんごさんは今年の10月で60歳、還暦を迎えたことを機に、来年アメリカに語学留学し、現在アメリカに滞在中のご家族と一緒に暮らす決断をしました。

デビュー以来、レギュラー番組を欠かしたことがない風見しんごさんですが、渡米すれば、それも難しくなります。

仕事にブランクを空けてしまうかもしれません。

急遽入るバラエティー番組や歌番組のオファーも、日本にいれば、引き受けられますが、アメリカに拠点を置けば、引き受けられないケースが多々出てくるかもしれません。

これまでのように、俳優としてドラマのロケ地に行くことも、東京マガジンで取材に行くことも難しくなると思います。

東京大好き!ではなく、ロサンゼルス大好き!のコーナーでも用意していただけたら…

(そっちの方がおもしろいと思うけどなぁ…英語が通じなくて困っている様子とかをお茶の間に届けたらきっと面白いだろうなぁ。[しんごさん初めてのおつかい]とか。[やってTRY in LA]みたいな感じで。)

海外に身を置きながら、リモートでスタジオと繋がって出演できるコメンテーターの仕事が来ればよいのですが。

(噂の東京マガジンさん、お願いします。何とかしていただけないでしょうか?)

それはさておき、芸能界は、帰国すれば、いつだって、これまで通り仕事が来る、なんて甘い世界ではなく、ひょっとしたら、芸能の仕事はもちろん、今回のようにインタビューを受ける事もなくなってしまうかもしれません。

仕事が減り、露出が減れば、やがて世間から忘れられ、芸能界からもフェードアウトしてしまうかもしれない、そのような大きなリスクがあることを重々承知した上での今回の決断。

しんごさんが、このような大きな決断に至った大きな理由として、次の3つが挙げられます。

 

まず第一に、昔からしんごさんには、英語を話せるようになりたい、という願望があったそうです。

奥様と次女ふーちゃんがアメリカに留学して6年が経ち、今では二人は家の中でも英語で会話をするそうです。

その会話の輪に入れない事で、なんだか疎外感を感じて、自分も英語を話せるようになりたいという思いが一層強くなったそうです。

おそらく、あくまで僕の推測ですが、奥様とふーちゃんが家でも英語で会話をする理由、それは、奥様の英語力向上のためではないでしょうか?

ふーちゃんは留学する前もずっとインターナショナルスクールで英語を学び、英語でクラスメートと対話が出来る環境にあったので、渡米前から英語力も十分あったと思いますが、奥様の方はというと、6年前、急遽、ふーちゃんと渡米する事になったので、渡米前に英語をじっくり勉強する期間も少なかった事でしょう。

いざ、現地に行ってみて、現地の人が話している内容が全く分からない。自分が言いたいことが全然話せない。やがて、話そうとする気力すらなくなってくる。そんな壁にぶつかったのではないでしょうか?

しかし、家に帰れば、日本語も英語も話せるふーちゃんがいる。

ふーちゃんが協力してくれているのではないでしょうか?

奥様の英語力向上の為に、ふーちゃんは、奥様との会話を敢えて英語で話すようにしたとか。

あるいは、そうするよう奥様がふーちゃんにお願いしたとか。

どんな言語もそうですが、会話能力は机の上ではなく、会話の中でしか育ちませんから。

ふーちゃんが相手なら、いざとなれば、日本語で伝えられる。

ふーちゃんが相手なら間違えても安心。

ふーちゃんから、「こう言いたい時はこう言うんだよ。」とか、「それはこういう意味だよ。」と教わったりして、

おそらく、そういう環境を敢えて作っているのではないでしょうか?

奥様の英語力向上のために。

そこに、しんごさんが渡米して加われば、しんごさんも奥様と同様に英語を話せるようになることでしょう。

続いて2つ目の理由。

コロナ。

しんごさんは、コロナ禍の2年間、アメリカに住むご家族と全く会えなかったそうです。

この2年間、何とも言えない、辛く重苦しい日々が続いたそうです。

そして、2年ぶりにようやく家族と再会でき、次女、ふーちゃんを見た時、驚いたそうです。

会えなかった2年の間に「どこのお嬢さん?」と思ってしまうぐらい、良い意味で変わってしまっていた次女の姿を見て、会えなかった2年間を思い返し、(2年間、娘の変化も見られずに、もったいないことをしたな・・・)と思ったことが今回の決断に至った一つのキッカケだそうです。

10代の2年間は、本当に大きく変化する事は、僕も高校教師をしておりますから凄く分かります。たとえば、高校に入学したばかりで、まだ、中学時代のあどけなさが残る高校1年生の時と、来年就職する高校3年生の違いって、容姿も中身も全然違います。

10代の我が娘に会えなかった2年間のブランクは、相当大きかったはずです。

2年ぶりにふーちゃんに会った時の感想を聞いて、思い出したことがあります。

何年も前ですが、しんごさんがご家族とラスベガスへ旅行に行ったときの話です。

ラスベガスに滞在中、しんごさん一家は、当時、ふーちゃんがハマっていた「フィフスハーモニー」というグループのコンサートに行ったそうです。

そのコンサート会場で、楽しそうにフィフスハーモニーの英語の歌を歌うふーちゃんを見て、(え?ついこの前まで「おしりかじり虫」や「忍たま乱太郎」を一緒に歌っていたのに、今では、こんな大人の曲を歌うようになったの?知らぬ間に成長したんだなあ・・・)と嬉しくて、思わず涙がこぼれてしまったそうです。

えみるちゃんのことも思い出したに違いありません。

えみるちゃんは、ここまで大きくなれなかったのですから。

思わず涙を流してしまった時、横を向いたら、隣にいた女性と偶然目が合ってしまい、「あの女性は(なんだこのアジア人は!なんでこの賑やかなコンサート会場で、フィフスハーモニーの陽気な音楽を聞いて泣いているんだろう?)と驚かれたに違いない」と笑って話しておりました。

一緒に暮らしていても、それぐらい変化がある年齢なんですよね。

しんごさんは、今年で60歳を迎え、ふーちゃんも19歳。

もうすぐ二十歳。

やがて、結婚もするでしょう。

そう考えれば、ふーちゃんと家族そろって暮らせる時間も長くはありません。

仕事も大切だけど、家族との時間はこれまで以上に大切にしたい、そう考えた上での決断だと思います。

大切な子供を失ったからこそ強まった家族の絆。

家族の絆が強いからこその決断だと思うのです。

そして、3つ目の理由。

それは、やはり交通事故で亡くした長女、えみるちゃん。

えみるちゃんが交通事故に遭い、救急車で運ばれた後も、彼女はボロボロに壊れた小さな体で、一生懸命生きようとしていました。

しんごさんも奥様も「頑張れ!死ぬんじゃないぞ!頑張れ!」と、えみるちゃんに何度も声をかけたそうです。

最後の最後まで「頑張れ!」と声を掛け、えみるちゃんは、それに応えようと最期まで精一杯生きようと頑張りました。

最後の瞬間まで「頑張れ!」と言い続けたのだから、60歳でもやりたいことがあれば、それに向けて頑張らなければならない。年齢を理由に諦めたりしたら、えみるちゃんに申し訳ない。

最後の最後まで人生を精一杯生き抜き、人生を終え、天国へ行って、えみるちゃんに再会した時、「よく頑張ったね!」と、えみるちゃんに褒めてもらうために、今回の決断に踏み切ったのでしょう。

最後に…

これは僕の推測ですが…

インタビューでは語られていませんが、思うに、ご家族と一緒に住めない2年間は、しんごさんにとって相当辛かったはずです。

長女、えみるちゃんを亡くした後、長男こころくんも亡くし、(これ以上、誰も失いたくない!)、と次女ふーちゃんを大事に大事に育ててきた、しんごさん夫妻。

家族の絆も一層深まった矢先、今度は、ふーちゃんがアメリカに留学し、彼女に付き添う形で奥様も渡米し、日本に一人残ったしんごさん。

あれから6年。

その6年間、どれだけ辛く寂しい思いをしたことだろう…

普通であれば、仕事が終われば、電気がともり、にぎやかな声が聞こえ、夕飯の香りがしてくる温かい我が家が待っています。

しかし、この6年間、仕事が終わって帰宅しても、家の灯りはついておらず、家の中は真っ暗で冷たく冷え切り、「ただいま」と言っても、「おかえり」の言葉は返ってこない。そんな寂しい日々を送っていたのではないでしょうか?

それでも、たまにしか会う事が出来ない家族と再び会える日を楽しみに、1日1日を生き抜く…

辛い時には一人で涙を流した夜もたくさんあったことでしょう。

あの場所に一人立ち尽くした夜もあったでしょう。

そんな日々が続いたわけです。

6年間。

たまにしか離れた家族と会う事は出来なかったけれど、それでも、それだけを楽しみに、なんとか1日1日を生きる事が出来た。

ところが、コロナ禍になってからは、そんなささやかな楽しみすらなくなってしまった。

次にいつ会えるかもわからない。

一体何を楽しみに生きればよいのか?

この2年間、もうすぐコロナが始まって3年になりますが、この期間は特に辛かったはずです。

これ以上、こんな辛い時間を増やしたくない、もう60歳なんだし、残された時間、家族との貴重な時間を大切に過ごしたい、そう思われたのではないでしょうか。