Q4:教員免許更新についてどう思いますか?

 

先ほどのQ2の質問事項で「無駄な教員の削減」という言葉を使われていましたが、それに少し絡めて、尚且つ僕個人の経験も含めてお答します。

教員免許更新制

第一次安倍政権の時に現職教員の大反対の意見を押し切って無理やり作られた制度です。

思い返せば小泉政権時「ゆとり教育」も大反対を押し切って無理やり決められました。

当時からどのような事態を招くことになるかわかりきっていて、現場の教員は何度も警鐘を促してきました。

しかし上の人間は鼻で笑って聞こうとはしませんでした。

いざ始めて見れば「ほら見たことか」ということになってしまいました。

そして、「ゆとり教育」から「脱ゆとり」へ・・・

現場経験も無ければ、教員免許も無い、先見性のカケラも無ければ、責任感のカケラも無い文科省の人たちが、何の下準備もせず、見切り発射で強引に始めて、現場は混乱に陥り、その惨状の報告を受けても、当の言い出しっぺは自分たちで何とかしろと言わんばかりに現場に放り投げて知らん顔。

教員免許更新制もまさにそのパターンでした。

言い出しっぺは安倍総理です。

第一次安倍政権の時ですね。

そもそも教員免許には有効期限などなかったのです。

僕たちは教員免許を交付される際、「この免許は生涯有効である」と約束されておりました。

生涯有効と約束されていた免許が突如、更新制に変わる・・・

いずれ免許更新センターみたいな天下り法人でも作る気なのだろうか?

更新料や更新税みたいな物でも作って更にお金を巻き上げようとしているのでしょうか。

無期限有効のはずの免許に突然期限を言い渡されて、なんだか契約違反か詐欺にあったような気にもなってしまいます。

 

ところが2000年あたりから公務員に対する風当たりがかなり強くなり、教師や警察の不祥事をマスコミが大々的に報じるようになりました。

不景気の影響ですね。

世の中が不景気になると、人々の不満は必然的に公務員へと向くものです。

とりわけ教員、警察に対する風当たりは強かったと感じています。

個人的な恨みを買いやすい職業なんですよね。

石原都知事も橋下徹氏もそうですが、そういうご時世では、庶民の批判対象であった公務員を締め付けたり、対外的に共通の敵を作ることで国民の支持を得られやすくなるものです。

安倍政権もそういった手法をとって支持を得ました。

そして、そのような世相の中、いわゆる「不適格教員」を排除するためにと2004年あたりに安倍政権がこの案を打ち出しました。

しかし、免許更新制にしたところで不適格教員が排除されるわけがないし、制度を設ける理由としても「不適格教員の排除」という、この文言はマズイし、実現しないだろうと言われていましたが、2007年にはどういうわけか無理やり法案が通ってしまいました。これが安倍政権のやり方ですよね。今では誰もがご存知だと思いますが。

そして免許更新制の目的が「不適格教員の排除」だとさすがにマズイと自認して、表向きの目的として「資質能力のリニューアル」と定めました。

何をいまさらって感じですよね。

あれだけ「不適格教員の排除」を声高々に唱えていたのだから。

文科省のホームページでも大きく、そして、わざとらしく書いてありました。

「これは不適格教員を排除することが目的ではありません。」

呆れて物も言えません。

「資質能力のリニューアル」

わかりにくいですね。

つまり教員の知識のアップデートです。

知識のアップデートなら現場でも家でもどこでもできます。

なのに何故ただでさえ多忙なのに仕事休んで大学に行かねばならないのか?

突然免許を更新性にして強制的に更新のための研修を何日間も受けに行かされるのに、出張扱いにもならないんですよ。

有給を使って行かされるわけです。

受講にかかる費用から交通費宿泊費までそれにかかる費用は全て自腹で。

その期間も毎日朝から夜まで丸一日大学に缶詰めですよ。

 

ところが法を作ることだけが先行して始まってしまったこの制度、中身が全く整備されておらず、政府は現場(大学)に丸投げしてしまったのだと、ある関係筋から聞きました。

現場では大混乱。

免許更新は法律が通ってしまった以上強制ですが、出張扱いにはならないので有給をとらなければなりません。出張ではないということは公務ではない為、学校の校務(部活や授業含め)に支障をきたすような日に更新しにいくことも許されません。ところが更新できる期間も短く、主に夏休みの8月に集中しています。ちなみに運動部は夏休みのこの期間に大会が集中しています。顧問が一人の部活はどうするのでしょう?監督がベンチにいなければ不戦敗ですよ?生徒たちの身になって考えて欲しい。

更新講習を受講できる大学も少なく、その数も年々減少しています。その年度の更新対象教員をすべて受け入れるキャパシティーも足りません。

修了認定試験は60点以下は不合格です。

そして受講の翌年1月末までに更新を終えなかった者、試験に落ちた者は3月末で免許返納、クビとなります。

 

講義を開く大学も講師も年々減っている現状で、講義を行う大学も東京に集中しており、地方の大学ではあまり開催されていないので、講習を開催している各大学に物凄い数の受講生(現職教員)が日本全国から殺到するという状態。

地元の大学で受講できなかった教員は、はるばる田舎から高い交通費を払って上京して、1週間高い宿泊費を支払って、高い受講料を支払って免許更新講習を受講するわけです。

さらに更新手続き等別途かかる金額も色々あります。

1週間連続で同じ大学で受けられればまだいいですが、中には連続で受けられない方もいます。

そういう方たちは一度地元へ戻り再び上京しなければなりません。

つまり倍の交通費がかかるということです。

 

せめて自分の受けたい講義、研修内容を選択できたらよいのですが、その選択肢も非常に少なく、その限られた選択肢の中から選択しなければなりません。

中には受けたくなるような研修もあるのですが、そういったところには受講希望者が殺到して恐ろしい倍率の抽選となるわけです。

結果、外れれば興味も無ければ実践に役に立ちそうもない講義を受けざるを得なくなります。

 

僕が更新講習を受けた時は、かなり早い段階から必要な単位数だけ講義の受講申請を出していたにもかかわらず、その後受講者が殺到したので、受講は抽選で当たった人だけにするという知らせを突然受けました。

しかも、専門科目の一部も抽選で落ちて、残った講義は専門科目以外。

結局足りない単位分、専門外である「体育」を受講する羽目に。

ですから僕は主催側に抗議しました。

「かなり早い段階で別の講義を希望して受講申請の手続きを済ませていたのに、その後受講者が殺到してその申請も一方的に取り消されて、更に希望する講義を受けられないどころか、専門教科である英語の講義すら受けられないって、何とかならないのでしょうか?」と。

すると「専門教科とは違う教科でも受けられることになっておりますので、ご了承ください。」

そういう問題ですか?って話です。

結局僕は「体育」を受けましたよ。

英語の教員が一人、屈強な体育教員の集団に混ざって汗水たらして体育の研修を受けていたんですよ?

信じられます?

たとえば逆のパターンで、アカデミックな英文法の講義&テストに体育教員が受けるなんて状況を考えてみてください。

僕はその逆のことをしたわけです。

僕は当時まだ30代だったからいいです。しかし、もし、50歳以上の英語科の教員とかが僕のように抽選に外れて専門科目受けられず、仕方なく体育を受けることになった場面を想像してみてください。

運動とは縁遠い生活をしてきたお腹が出たおじさん教員が、似合わないジャージを着て、筋肉マッチョな体育教員たちに混ざって器械体操やらラグビーやらをやらされ、最後には筆記試験及び実技試験を受けさせられる姿を・・・・・・・

これでついていけなかったら「不適格教員」でしょうか?

教員に限らず50男のサラリーマンの方、こんなことできますか?

こういったことが実際に起きているのです。

くじ運の悪い僕は当初受けるはずだった他の講義も抽選で悉く落選し、結果的に興味のない分野の講義を受講することになりました。

ダラダラと下を向いてプリントを読んでいるだけの講義を90分近く聞かされ、終了と同時にその講義内容の試験です。

つまらないし意味のない内容の講義を強制的に聞かせるシステムが構築されているのです。

これが研修でしょうか?

そもそも、そんなに勉強させたいなら、何故もともとあった夏休み中の自由研修を廃止したのでしょうか?

それまでは夏季休業中に教員は自主的に研修が出来たのです。

研鑽、より質の高い授業や教育を提供するために。

来学期はこういう授業をやりたいから、この夏はこういう研修をしよう、そうだ!何先生の講義を聞きに行き、アドバイスをもらいに行こう!といった感じで。

その研修を廃止してしまったのです。

なぜ自由研究、自由選択できる研修を廃止して、選択肢の無い意味のない研修を強制するのか?

なぜそういった研修どころか授業に必要な最低限の教材研究や授業準備ができないほど本来の職務とは関係の無い雑務を増やすのか?

矛盾と疑問だらけです。

毎日時間外労働もちろんタダ働き5時間以上

さらに仕事を持ち帰り寝るのは2時3時というのも日常茶飯事でした。

そんな多忙な教員に更なる追い打ちをかけるように、こんな意味の無い制度を強制するとは・・・・

教員免許講習を講義をするのは大学教授や非常勤講師、なかには元PTA会長で現在中小企業の社長、

いずれも現場経験の無い人たちがアカデミック?な講義をして、その内容から授業終了後すぐに実技、ペーパーテストを行うというものでした。

講義の内容は現場経験の無い方たちの「机上の空論」「理想論」「まるで役に立ちそうもない話」ばかり・・・・

これで文科省が謳う、教員免許更新講習による「資質・能力のリニューアル」ができたのでしょうか?

そうは思いません。

時間と労力とお金の無駄であったとしか思えません。

 

如何にこの法律が整備されていない状態で見切り発射されたものであるかお分かりいただけたかと思います。

一方こんな法律を出した安倍政権はというと、大混乱している現場に対する対処を一切行わず現場に丸投げ。

始まった当初はいずれなくなる法律だと誰しもが信じていましたけど、全くなくなりそうもありません。

もう始まってしまった以上、後戻りはできない、その後の責任もとりようが無い、という状況。

日本の組織の特徴ですが、一度始めてしまった取り組みがたとえ良くない状況に発展しても、一度始めてしまった以上、それを廃止するだけの相当の大義名分がない限り続けるということです。

戦争末期の特攻もそうでしたね。

これまた日本の悪しき組織のリーダーの特徴ですが、何か新しいことを強引に始めて、始まったら後は現場に丸投げ。良い結果を出せば自分の手柄にして自分の実績ということにする。一方、何か問題が起きても知らん顔で責任を取らない、任期が終わば、その責任から解放されると思い込んでいる。小泉元総理や石原都知事のように。安倍総理などもまさにその類の人間でしょうね。

 

僕は昭和50年生まれなので、教員免許更新制が始まって、1番最初に免許を更新した世代です。

次の更新まで残り3年もありません。

第一次安倍政権の時にできた悪法が今なお現場の教員の負担を増やし苦しめています。

まさに負の遺産というやつです。