大学に入るので上京した後、オーディションを受けようとしたキッカケは何だったんですか?
「僕はオーディションを受けに行ったつもりはなかったんです。もともとは、東京に出てきて、そこで知り合ってよく遊んでもらったのが、まだデビュー前でしたけど、先輩の哀川翔さんだったんです。零心会といって、「ゼロの心から始めよう」という意味で先輩ら哀川翔さんたちが作ったんですけど、それが後の「一世風靡」になるんです。その零心会がNHKの目の前のホコ天で路上パフォーマンスをやっていたんです。そこで哀川翔さんと出会って。哀川翔さんはその時すでに役者を目指されていたんですね。で、自分は大学で理数系の工学部だったので演劇とか全然関係なく、芝居とか疎かったんですよ。演劇を見たりとかもなかったです。映画は好きだったんですけど。僕らの時代、田舎の娯楽は映画ぐらいしかなかったので、映画は大好きだったんですけど、まさか自分が演じるほうになるとは全然思ってなくて。ただ、自分はお世話になっていた哀川翔さんが大好きだったので、翔さんが「やるぞ」と言ったら、「わかりました」って感じで、分かりやすく言えば、「言われるがまま」。ある日その仲間に高校生だった野々村真くんがいて、彼は凄く人気があったんですよ。野球部で背も高くて可愛らしい顔立ちで、凄く中学生や女子高生から人気があって。実は彼がオーディションを受けに行くことになっていたんですよ。萩本さんの番組に。で、僕はその時、翔さんたちから「おまえついていけ」と。自分は背も小さいし、その当時自分はバリバリのリーゼントをしていたんです。もう一人武野功雄さんという、後に欽ドン!の「悪い先生」役になる方がいたんですけど、その当時彼はモヒカン刈りだったんです。で、リーゼントでちっちゃくて、つっぱらかった兄ちゃんとモヒカン刈りのちょっとオヤジに見える青年の間に真くんが立ってたら、さぞかし真くんが輝いて見えるだろうということで。引き立て役ですね。僕らは応援というか、付き人で行ったんです。で、オーディションに行くと、そこに作家の方がいたんです。パジャマ党っていう作家集団が昔萩本さんの周りにいらっしゃったんですけど、そのパジャマ党の作家の人が勘違いをして、三人組でオーディションを受けに来たと思ったんですよ。で、なぜだか、その作家の先生が僕に「残りなさい」っておっしゃって。「今となりのスタジオで萩本さんがリハーサルをしているから、挨拶をして帰りなさい。」って言われて、(え?どういうことだろう・・・)と思いながらテレビ局のドアを開けて。すると萩本さんがゴルフのスウィングのような動作をしながらスタッフと立ち話をされていたんです。で、自分の目の前にテレビで観ている欽ちゃんがいるわけですから、
「うわ~っ!すげえ!欽ちゃんだー!こんにちはー!!!」って言ったんですよ。自分はオーディションとかそんな意識はなかったから「うわー!欽ちゃんだー!」なんて言っちゃったんですけど、萩本さんが「お~っ元気がいいな!合格!」って言っちゃったんです。(え?何が合格なんだろう?」と思って。「なにかお芝居をしてみなさい」とか「このセリフを言いなさい」とかもなく。そんなことから自分はデビューしたんです。でも随分後になって「大将、あの時自分は何をお芝居するわけでもなく、台詞を言うでもなく、踊りを見せたわけでもないのに、ただ挨拶をしただけで合格っておっしゃられましたけど、僕の何が合格だったんですか?」って聞いたんです。すると萩本さんは、「僕はね、合格って言った記憶がないんだよね。」って。で、自分は「え!?ちょっと待ってくださいよぉ!じゃあ、自分は何ですか、全部自分の勘違いだったんですか?合格って言われたと思って僕は残っていたんですよ?」。ですが、萩本さんは、「なんでこの青年は合格とか何も言ってないのに、ず~っと帰らないんだろう。ああ!この子、自分で合格を決めちゃったんだ!そんな奴も面白いな!」っておっしゃっていました。
で、僕は「いや、合格っておっしゃられましたよ?」って言ったら、「もし言ったとしたら、その日は朝からオーディションで何十人と挨拶に来ていて、よっぽど疲れていたところにでっかい声で「こんにちはー!」なんて言われたから、ビックリして思わず合格って言っちゃったんだよ。この疲れている時にそんなデカい声出すなよって意味で。」
欽ちゃんファミリーのみなさんは、それぞれにこういった変わったデビュー話がありまして。
週刊欽曜日という番組で僕と一緒に出ていたコニタンこと小西博之さんのデビューのキッカケは、オーディションを受けて、「ダメ。不合格。」って言われたそうで、「不合格」って言われたコニタンが、スタジオの隅にいたマネージャーさんを慰めているんですよ。普通逆じゃないですか。不合格って言われたらマネージャーさんが、「おまえ気を落とすなよ。次があるからさ。がんばろうよ!」ってタレントさんを励ます話はよくありますよね?コニタンは逆で、連れてきてくれたマネージャーさんに、「そんなに暗い顔しないでください。またどっか受けに行きましょうよ!」って逆に励ましていたんですよ。不合格にした萩本さんがそれを見ていて「不合格になったタレントがマネージャーを励ますなんて初めて見た。合格!」って。これがコニタンのデビュー秘話です。
聞いた話なんですけど、柳葉さんは、欽ドン!の「良い先生」のオーディションを受けられたんですけど、そこでは誰も合格不合格を発表しなかったんですね。で、とにかくオーディションを受けた皆さんはいったん解散という流れになって。で、スタッフがそれぞれの履歴書の住所を見て、家に着いているであろう時刻に電話をかけ、その時に電話に出た人を合格にしようと。大将の中では、「もしこのオーディションが自分の人生を決める大切なオーディションであると思っている人だったら何時に解散になろうが、その後に予定を入れてないはずだ。そんな日に帰りにどこか寄ろうなんて気持ちにもならないだろう。まっすぐ家に帰るはずだろう。」と考えていたんです。で、唯一帰っていたのが柳葉さんだったわけです。そういう風に聞いていますね。
で、見栄晴くん、彼のデビューのキッカケはジャンケンです。AKBさんがジャンケン大会でセンターを決めるというのは有名ですよね?多分ジャンケンでセンターを掴んだ第一号は見栄晴ですね。
オーディションで何人かに絞り込まれていたんですよ。で、大将は(あ、この調子で行くと見栄晴が合格になるな。」と思ったらしいんですよ。で、(彼が合格になったら他の青年たちは、さぞガッカリするだろう。こんな奴に負けたって思うに違いない。これはいけない。)と思われて、(よし、ジャンケンにしちゃおう!ジャンケンなら実力で負けたんじゃなくて、(はあ、運が悪かった)と踏ん切りがつくだろう。)と考えて、ジャンケンを取り入れたそうです。見栄晴さんが負ける可能性もあるのに、大将の中では、(この子が勝つだろうな)っていうのがあったらしいんです。」
デビューを振り返って
「デビューした時、まさかこれが生涯をかける仕事になるとは思ってもなかったですねえ。今思うに、あそこで何かが一つでも違っていたら自分の人生も今とは全く違った物になっていたんだろうなと思います。」