I の結婚式は原宿で行われました。



彼は俳優なので、式場に集まってきているのは役者さんと舞台関係者ばかりでした。



そんな中、ひときわ異彩を放っていたであろう僕ら4人





インストラクター T



健の1つ上の高校3年生M





Iはもちろん新郎であるからタキシードを着ているわけだし、主役ですから新郎新婦の席に座っている。



ところが僕以外の3人



なんとTシャツ姿でここへ来たのです。



おいおい2次会とはいえ、結婚式でそりゃないぜ・・・



と思ったものの、周りには新郎のIから「ダンス仲間」ということで、ゲストの皆さんに紹介してるから、まあ・・・いっか・・・・



そして僕らのショータイムが始まりました。



諸事情により、大部分を編集してカットし、そのうちのソロ回しのところの一部をアップしました。



ご覧ください。



https://www.youtube.com/watch?v=idpvj4qY-kY



冒頭の自己紹介の部分で健の紹介の時、I が「高校2年の健くん。イケメンです。うちの奥さんは健くんの大ファンです。」と紹介しています。



この奥さんとの悲しいエピソードも後に書こうと思います。









ソロ回し1番手はM



2番は赤いジャージを着ていて手で回転しているのが僕



3番手が健です。(彼がやっているムーブは、その前に行われた産業祭や夏祭りのためにインストラクターのTが振付けしたフットワークを繋げたものです。このときは、というか、この時を含め、彼がブレイクダンスを辞め、芸能界デビューした後まで、彼は、僕やインストラクターから教わったムーブや振付をそのままこなすこと、あるいは当時彼が憧れていたダンサー(群青など)のムーブをバイト(コピー)することだけしかできなかったことが残念です。基本ができるようになったらオリジナルを磨いてほしかったです。それを教えなかったことが心残りといえば心残り、悔いと言えば悔いでした。)



4番手、最後のヘッドスピンは僕の後輩でありダンススクールインストラクターのT





なかなか良い結婚式の思い出となりました。



帰りは僕と健は地元が同じなので二人で帰りました。






















4年前、Iは腎盂癌で他界しました。



大人の中でさぞかし居心地が悪いだろうと僕が健いじりをしていたのに賛同してくれ、一緒に健の面倒を見てきました。



Iはブレイクダンスこそ初心者でしたが、俳優としてはそれなりに実績も経験もあり、何度かIの舞台も見に行ったこともありました。普段ダンスの時ではみることのできないIの一面を知り、感嘆したものでした。



Iは昔テレビにも出ていたのですが、ちょっとしたトラブルを起こした後、テレビの仕事を干されてしまいました。



ある晩、僕と健とIが深夜練をしていた時に僕はついうっかり



僕「なあ、もしもう1度テレビに出るチャンスがあったら、またテレビに出たいと思う?」



その質問をした直後、ちょっとマズイ質問しちゃったな・・・と思いましたが、彼は特に気にすることなく、



「やっぱり出たいよね。」と。



このやりとりを聞いていた、当時「普通の高校生」だった健



あの夜のことを覚えているだろうか?



おまえはあいつが欲しくても手に入らなかったもの以上を手に入れたはずである。



もし、あの夜 I が言ったことを覚えているならば、今どれだけおまえが幸せかをわかっているはずだ。









Iが亡くなった時、Iの奥さんは健にその旨を連絡したのですが、連絡はとれず、1年後、僕が奥さんに会った時、「健くん、連絡先変わった?」と奥さんが僕に聞いてきたのです。



僕「ううん、変わってないよ。どうして?」



奥さん「健くんと連絡がとれないの。るぱんさん、最近彼と連絡とった」



僕「うん。とったよ。I が亡くなったことも伝えてあるよ。なに?まだ線香あげてないどころか、返信もくれないの?」



僕は唖然としてしまいました。



僕は健に「仕事が空いた時でいいから、Iのうちへ線香1本あげてやってくれよ。車出すからさ。」とメールで伝えていたのです。



でも奥さんにはまったくメールも出さず、線香もあげず、奥さんからのメールも返信することはなかったのです。



僕「ちょっと奥さんが登録している健のメールアドレス見せてよ。」



僕「あれ?同じだよ。このアドレス合ってるよ。どうしてアイツ返信しないんだろう?」



僕は何となく理由はわかる、というか感じ取っていた。



わかるけど、いざその現実に直面すると残念でならなかった。



彼は4年間一緒に頑張ってきた仲間が亡くなり、その悲しみに打ちひしがれているであろう I の奥さんの心情すら汲み取ってあげることができなくなってしまったわけです。



いくら忙しくても売れっ子でもメール返信ひとつぐらいできるはず。







あれから健とのメールはありません。



せいぜい彼のメアド変更のメールが来るとき以外には。



もうこの時はすでに売れっ子になっていたわけですが、忙しいのはわかります。



芸能人だから人目にさらされるのを警戒するのもわかります。



でも俺達ってこんなもん?



I 死んじゃったんだぜ?



そう思いました。



よくテレビや雑誌の対談で高校時代のダンスの思い出を語っていますが、それほど美しい思い出なら、これは何?



と思いました。



僕らにとって今でも健は健のままなのに。


いや、そうであって欲しいと僕の一方的な我がままなのかもしれない。


それにしても・・・・寂しいなぁ。


たしかにあいつは変わってしまった。

Iの父親が雑誌の出版社に勤めており、その雑誌でタケルのコーナーが連載されていた。

タケルが後輩だということを知ったIの父親は、その雑誌が新しく出るたびにIの自宅へ送っていたそうである。

その雑誌の記事のインタビューで彼が答える内容は、およそ事実と異なることが多く、また、彼らしくない発言内容が多かった。

僕と同様、Iも彼と長年一緒にいた者として彼のことはよく知っている。

そのIがそれらのインタビュー内容を読んだ直後

「誰これ?」

と言って、その後一切その雑誌を手にすることはなかったらしい。

これはIの死後、奥さんから聞いた話である。




あいつは変わってしまった。

おそらく、それは事実だろう。

それは子供から大人になるといったような誰にでもある自然の変化ではなく、以前とは性格、人格そのものが変わってしまったといったほうが適切かもしれない。

人は名声や地位や大きな富を得ると変わってしまうというのはよく聞く話である。

タケルもその類なのだろう。

でも・・・


それでも僕は、またあの頃みたいに一緒に踊ったりして、昔のようにふざけあったりしたいと思ってしまう。



そんなことを考えるのも今じゃ俺だけなのか・・・昔一緒に練習したビルの片隅に通りがかった時など、ふとそんな事を思い出してしまう。



今でも時々当時を振り返って彼らと一緒に練習した思い出の場所に足を傾けることがあります。



辛いこと、悲しいことがあった夜など。



夜誰もいないSATY・・・マミーマート・・・コミュニティーセンター・・・



そこで亡くなった I に語りかけます。



「俺、まだまだやれるよな?おまえは先に死んじまったから、おまえの分も俺がじじいになるまで続けてやるよ。

あの頃俺らオヤジブレイカーズと自嘲して笑っていたけれど、あの頃の俺ら全然オヤジじゃないよ!若かったよ。

知ってる?もうタケルの奴、あの当時の俺らの年齢になろうとしてるぜ?」







健にウィンドミルを叩き込んだコミュニセンター、このコミュニセンターの2階にはレストランがあり、そのレストランのメニューには、それはそれは大きくてのっぽなパフェがあって、




僕「たける、おまえこれ一人で全部食える?俺、絶対無理だわ・・・」



健「食えますよ!絶対!」



僕「下痢起こすぞ・・・」



閉店後のレストランの前に立っていると、ふとそんなやりとりをした場面を思い出します。













とりあえず彼との思い出話は今回はここまでとします。









なにしろ中学生から高校3年のデビューまで、ダンス仲間としては4年間の付き合い



彼に関して、良くも悪くもたくさんの思い出があります。



またいつか折を見て書こうと思います。





https://youtu.be/3yZnR24X7bw