まずは自己紹介ということで・・・

 

職業は高校教師です。

趣味、特技はブレイクダンスです。

 

 

 

B BOYネーム(ダンサーネーム)はルパンです。


 

風見慎吾さんに憧れて10歳の時から始めました。

 

 

アラフィフの現役B BOY(ブレイクダンサー)です。

 

↓こちらは教室でブレイクダンスをしたときの動画

 

 

↓こちらは三年生を送る会(三送会・予餞会)で踊ったときの動画

 

 

 

教師になってからは教える方がメインです。

 

 

 

仮面ライダー電王などでおなじみの俳優 佐藤健にもブレイクダンスを教えていました。

今ではすっかり有名になってしまいましたが、彼にウィンドミルを教えたのは僕です(自慢)。

 

 

 

 

↑結婚式で健と一緒に踊った時の映像。 僕のソロ(手1本で回っているのが僕です。)の次が健です。

 

彼と出会ったのは彼が中3の時。

一緒にブレイクダンスをやる仲間が欲しくて後輩がインストラクターをやっているダンススクールへ行った時、そこで彼と出会いました。

彼は夏祭りの発表会でインストラクターの後輩含むスクール生たちがダンスを披露しているのを見て、自分もダンスをやりたくなって後輩のスクールに入ったそうです。

ちょうどその時たまたま僕が後輩のスクールに遊びに行きました。

それが彼との出会いのきっかけでした。

その後、受験を直前に控えた彼に受験指導や面接指導もしてあげたりしました。

無事、志望していた高校は合格しましたが、自分の学力よりも上の学校に入ってしまったため、勉強についていくのが大変で、さらにダンスの練習やアルバイトに夢中になってしまったせいで成績はみるみる急降下。

高3では絶望的に成績がどん底になってしまい、大学受験どころではなくなってしまったのを見て、あの高校に入るための受験指導より学校選びを助言すべきだったと後悔していました。

あとはダンスやバイトに夢中になるのもいいけど本業の勉強の方も助言すべきだったのでしょうか・・・

でもダンスの教え子でもありダンス仲間でもある彼に対して、まるで父親か担任のような事を言いたくなかったというのも正直言うとありました。

そんな時に仮面ライダー電王の主役が決まり、大学受験もきっぱりやめて、そっちの仕事を優先すると聞いて内心ホットしました。

彼とのエピソードは良くも悪くもたくさんあります。

今後、折を見てブログでお話しします。

 

 

ダンスの話はここまでにして、次に別の趣味の話。

 

2019年の3月10日に風見しんごさんが司会を担当されている番組に出演することになり、急きょカラオケを練習することに。

曲は、しんごさんの【ゆるら】を歌わせていただきました。

交通事故で他界した長女 えみるちゃんへ向けて、しんごさんが作詞された曲です。

本番は例年の5倍以上花粉が飛んでいる3月ということもあり、重度の花粉症で全く思うように声が出せなかったけど

天国のえみるちゃんに向けて精一杯、心を込めて歌わせていただきました。

この日までヒトカラで練習したり、スーパーの屋上の駐車場に行って車の中で練習したり、毎日練習の日々でした。

辛い日々でした・・・

何が辛いかと言うと・・・

すみません。2019年3月の記事をご覧ください・・・

結局、ヒトカラは慣れませんでしたが、これがキッカケでカラオケというか、歌うことが新たに趣味となりました。

高校時代、教室で尾崎豊さんの真似をして歌ったら好評でしたので、当時カラオケで歌っていました。

でも大学4年の時、あることがキッカケですっかりカラオケに行かなくなってしまいました。

今回の番組出演のおかげで再びカラオケに行くキッカケが出来て嬉しいです。

風見しんごさんに感謝です。

 

 

高校時代から「声が尾崎豊に似ている」とよく言われてきました。

 

ドーナツショップ

 

 

傷つけた人々へ

 

 

I LOVE YOU

 

 

OH MY LITTLE GIRL

 

 

優しい陽射し

 

 

 

I LOVE YOU

 

 

DRIVING ALL NIGHT

 

 

路上のルール

 

卒業

 

15の夜

 

ドーナツショップ

 

 

 

ダンスホール

 

 

 

↓チェッカーズも好きで歌います。

「星屑のステージ」と「涙のリクエスト」と「Cherie」を歌いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女性の曲も歌いました。

僕が歌うとこんな感じになってしまいます。

太田裕美さん【木綿のハンカチーフ】

 

 

 

 

 

 

↓CITY HUNTERのエンディング STILL LOVE HER ~失われた風景~ を歌いました。

 

 

 

 

 

 

番組の収録は終わりましたが、子供の頃から憧れて来た風見しんごさんの番組に出演できたことは夢のようでもあり、本当に嬉しかったです。

しんごさんがブレイクダンスを披露されたのがキッカケでブレイクダンスにハマりました。

あれは僕が10歳の時です。

その10歳のチビッ子も今年(2019年)44歳になります。

44歳でようやく「涙のtake a chance」をテレビで披露できました。

しかも、しんごさんご本人と共演と言う形で!

ずっと、しんごさんの背中を追い続けてようやく!

間違いなく、これまでの人生で最高に幸せな時間でした。

 

↓こちらの画像はFM局が主催するイベントにゲストパフォーマーとして招かれ、「涙のtake a chance」を披露させて戴いた時の模様です。

ところどころ風見しんごさん御本人とテレビで共演させていただいた時の映像も入っています。

 

 

↓しんごさんとのやり取り

しんごさんの番組でしんごさんの曲「ゆるら」を歌わせていただいた時の映像

こうして喋っていられるひとときが幸せでした。

 

 

 

 

 

↓今も鏡の前でこうして「涙のtake a chance」を歌いながら踊っています。

 

 

↓しんごさんの番組でしんごさんの前でしんごさんの代表曲「涙のtake a chance」を歌って踊った際のやり取り

 

 

 

 

 

 

今後もこの活動を続けて行こうと思います。

 

 

では、続いて次の趣味の話へ移ります。

 

僕は乗り物が好きです。

自動車、オートバイ、飛行機も好きです。

趣味と通勤の足としては自動車とオートバイを併用しています。

晴れた日はオートバイ、雨の日と冬の間は車といったように天候、季節、使用用途によって使い分けています。

 


 


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実は飛行機の操縦士免許も持っています。

 

日本(JCAB)国土交通省とアメリカ(FAA)連邦航空局の両方を持っています。

 

 




 

 

 

趣味ですが、オートバイが好きで、オートバイ2台(CT110とSR400)持っています。

下の赤いバイクはCT110

北米からの逆輸入車。

ハイギア4段ローギア4段の合計8段変速。

ハンターカブという名で狩猟に使用されていました。

オーストラリアでも使われており郵便配達にも使われています。

ちなみにだいぶ前に絶版車になってしまって、いまではプレミアがついているそうです。

僕が買ったのは絶版になる前なので、10万以下で買ったのですが。


 

 


こちらはSR400

期間限定予約受注生産で特別仕様の希少なSRです。

エンジンはSRですが、外装はすべて40年以上前の名車XS-1と同一のものです。


 

大型自動二輪の免許も持っていますが、現在はリッターバイクには乗っていません。

 

車はオープンカーに載っています。

COPENという車です。

飛行機乗りやバイク乗りは風をダイレクトに感じるのが好きな人が多いです。

よって車はオープンカーを好む人が多いのです。

僕もそうです。

屋根が電動開閉式のオープンのツーシーターの真っ赤なCOPENに乗っています。

子供の頃からオープンのツーシーターに乗りたいと思っていたので、実現させました。

赤を選んだのは子供の頃ガンダムに出てくる「赤い彗星 シャア」に影響されて赤が好きだった事、そして僕の好きな第一次大戦のドイツの飛行機乗り、リヒトホーフェンが自分の乗機を真っ赤に塗っていた事にも強く影響を受けていたので、COPENを買うときは迷わず赤を選びました。


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仕事の行き帰り、オープンにして走ると、一気に視界が広がり、

気分が晴れやかになり、走り出せば気分爽快。

密閉された車と違い細かいところまでよく見渡せます。

ふと信号待ちしていても街路樹や路地裏に目をやったり、

空を飛ぶ飛行機に目をやったり、星空を眺めたり・・・・

そして空気や風を感じることができます。

イクほど機動性はよくなくても、これで十分楽しめます。

ただし、冬は寒い!

しかも花粉症持ちには冬はつらい!!

バイク乗りも全く同じ苦しみを味わっている・・・・・・・・

 

 

 

 

がっ!

 

 

 

 

このCOPENという車、電動開閉なので寒くなったらすぐ屋根を閉められるのです!

それにオープンにしている時もシートヒーターがついているし、暖房もつけられます。

この車、発売した時に真っ先に買いましたが全然飽きません。

楽しくて仕方ありません。

ただしツーシーターなので後ろに人乗せられませんし大きな荷物も積めません・・・

 

COPENに乗る前はシルビアに乗っていました。



 

 

当時雪国勤務をしていた私はシルビアで毎晩のようにスキー場へ出かけていってスノーボードをしていました。

FRのスポーツカーで雪山の山頂にあるゲレンデに行く人など私しかいませんでした。

タイヤは4本スタッドレスタイヤ、そしてゴムチェーンを装備し、さらに尻を振らないようトランクに重りを載せていました。

おかげで今でもチェーン装着など迅速に手際よくできます。

北国仕様ではなかったため、バッテリーが寒さでしょっちゅうやられ、維持費がかかったのはちょっと、というか、かなり痛かったわけですが・・・

中古で買ったそのシルビア、なんと偶然、前のオーナーの名前が私と同姓同名!

住んでる所は遠く離れた名古屋の方ですが。

古くなって故障も多くなり廃車にしましたが、記念に前のオーナーの名前が入っている書類やキーはいまだに大切に保管しています。

これもなにかの縁でしょうか。。。

いつかお会いしたいものです。