◆父がいたからの今 | 徳岡たえ お稽古・美容・お金・働き方を教えるサロン〜自由の女神に愛されて〜

おはようございます。

レディライクの徳岡妙子です。

 

今日は私のお誕生日。

いくつになってもありがたき日。

 

この記事をずっと書こう書こうと思いながら、なかなか正直

書けなくて。

きっと泣いちゃうだろうなーって思ったから。

 

 

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いまどうして私がこの仕事をしているかっていうとやっぱり父の影響が過分にして大きいです。

私の父は生きていれば74歳

4年前に亡くなりました。

 

父は職人気質で、私の生まれ育った小松市の言葉でいうと

「いちがい」=こだわりが強いとか曲がったとかそんな意味かな・・・・

 

 

自営を営んでいた父は

昼夜、休日問わず、仕事漬けの人間でした。

 

だから私自身、

父がコツコツ働いてくれているおかげで

ほしいものはすぐ買ってもらえるというような感じの家庭で育っています。

いわゆるまぁまぁお嬢だったと思います。

 

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「ピアノが欲しい!」

って言うと翌々日にはピアノがある

って感じ。

同じことを私には子供たちにできるのかいうと。。。。

 

 

とにかく仕事仕事で海外でもよく仕事をしていて

1年に何か国も行っていたので家にいないことが多かったです。

だから、

父の背中をずっと見てきたのと私の家の親戚は自営業をされてる人が多いので

商売人の子でいてたからか

遅くまで働いたり、休みがないということも何も苦ではありません。

オンとオフの境がないってことは

子供の時から体感してたみたいです。

これってサラリーマンの家庭では考えられないことみたいです。土日にどうとかって感覚が薄く、

サラリーマンの妻になった今、ここは改善ポイントです。

 

家族が大好きだった父ですが

正直、子供のころは母子家庭状態だったので、父の記憶は乏しいです。

ですが、相当数に厳しかったことだけは覚えています。

 

 

今の子供では考えられませんが怒られれば、殴られたり、

中学時代は門限6時半だったような記憶がありますが

年頃につれ、門限を破り始めたり、親の言うことも聞かなくなり、

喧嘩の繰り返し?でした。

 

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お年頃なので、ほんと私自身、よくお友達と遊んでは、家に帰るのが遅くなり

怒られるのが怖くて、また帰るのが遅くなるの繰り返しでまた喧嘩。

ほんと色々心配かけました。

親になってはじめて父や母の気持ちが

今になりわかります。

 

でも私も父も年を重ねるに連れ、

丸くなったかたと思いきや

なんせ「いちがい」な性格の父なので

最後の最後まで喧嘩でしたねーーー。

 

気が短いというか曲がったことが大嫌いで、

ほんと絵を描いた職人気質な父。

でも、飲むのが好きでよく大人になってからはご飯を食べに行ったり飲みに行っていたり父としてました。

そこはほんとうにDNAを引きついていますね♪

 

  

職人の父の仕事を受け継ぐことはできなかったけど

自営業という道を受け継いだのは

良くも悪くも

「自分でやる」

ということの楽しさやつらさを教えてくれたからだと思います。

 

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私自身、前進が公務員だから

仕事を辞めるときに

周りのみんなはすべて反対したけれど

起業するときに

父はすごく応援してくれました。

 

 

「やりたいことをやれない人生って辛いぞ」

って。

ダメやったらまた何でも働けばいいんや!

と。

スクールを作り上げていくときも何度も何度も来てくれていろんな家具を運んでくれたり、

また配置で喧嘩してみたり、今振り返ると、

たくさんのことをしてくれた父に涙がいーっぱい流れます。

 

 

 

2代目、3代目の後継者の方はその状況が状況で大変かもしれませんが

起業は起業でとっても大変。

父も自分で起業しての自営だったのでいつも大変そうでしたが

とにかくお酒が大好きで、仕事も大変だったのか深酒が多かった。

お酒や外食がもう少し少なければ長生きできたかもしれません。

そこが悔やまれるところです。

 

 

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亡くなるときも亡くなるほんの数時間前まで一緒にいて

外出先で倒れたのですが

たまたま私が休みで病院から電話を受け、

病院に駆けつけたとき、

もう意識はありませんでした。

介護や看病に手を取られることもなく誰に迷惑もかけず、あっという間に亡くなったのを見ても

父らしい亡くなり方だったなと思います。

 

 

そして!

お友達に恵まれていた!

亡くなってからも父を忍んで

父のお友達とお酒を私たち家族と飲んだり、

色々なところで

「お父さんによくしてもらった、お世話になった。」

という声をいただく。


亡くなってからも忘れずに父の名前が出てくるってのはとっても嬉しいことだし、

偉大な父を今でも尊敬しているし、友達は私も大事にしたい、常々思い日々います。

 

 

私の父のことざーっと書きましたが

毎日いろんなことがあり、いろんなことをやって繰り返している日常。

自分の誕生日に家族のことを振り返るのってとってもいいですよ。

このブログ書いていてやっぱり涙です。

 

最近は私も年なのか

いがみあっているより、

やっぱり仲良くしたいし、

自分の好きな人たちには特にコミュニケーションを深めたい。

そう思っています。

特に家族は。


だんだん娘たちもお年頃。

楽しみでもあり悩ましくなるやろなー。

わたしの娘だし。

あ、これダサTの撮影会。

わかる人にしかわかりません。

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父と母がいて私がいる。

そして子供たちがいる。

そしていろんな人と出会わせてくれた。

ここが大事。

 

自分のルーツや使命って忘れがちだけど、そこの軸はぶれずに

元気に年を重ねたいそう思います。

 

お父さん見てるーーー?

今日は雨だけどお墓参り行くね!

 

お読みいただきありがとうございます。