丹生川上神社5 下社には白黒の神馬がいます
ご祭神
闇龗(くらおかみ)の神
以前は高龗神(たかおかみ)の神でしたが、大正時代に ご祭神を変更しています。
闇龗神(くらおかみのかみ)は、高龗神(たかおかみのかみ)とは、同一の神、または、対の神とされ、その総称が龗神(おかみ)です。
龗(おかみ)は龍の古語で、龍は水や雨を司る神として信仰されてきました。「闇」は谷間を、「高」は山の上を指す言葉です。
祈雨(きう)、止雨(しう)、灌漑の神として信仰されています。
木製の七十五段の階(きざはし)
本殿は、拝殿から急な階段を登った山にあり、普段は近ずくことができないですが、例祭の時はお参りできます。
本殿付近には神社の前を流れる丹生川の石26個で囲まれた矩形の石群が残っているとのことで、 それ以外にも無数のこぶし大の石が本殿近くにあるようです。
創始の頃には本殿はなく、丹生山を神体山としていたのでしょう。
神社の創建は、伝承では、丹生社の鳥居が洪水によって流されてきたので、それを拾って神体として祀ったのが始まりだと言います。
しかし、背後の丹生山山頂に、祭祀遺跡と考えられる石群があること、また、丹生川流域には丹生神社が点在すること、地下水が噴き出す場所であることから、昔から水神への信仰があったのではないか、と言われています。
神馬
下社で一番に目を引くのは、白馬と黒馬です。
昔は、晴れてほしいときは白馬、天が欲しいときは黒馬が朝廷より献上されていました。室町時代頃から途絶えていましたが、600年ぶりに2012年に神馬献上祭りが行われました。
牛石、蛙石
大正天皇の即位記念に、丹生川から人力で引き上げられました。
牛はじっくり歩む、蛙は瞬発力があることから、人生や商売の教えとされています。
産霊石(むすびいし)
闇龗(くらおかみ)の神
以前は高龗神(たかおかみ)の神でしたが、大正時代に ご祭神を変更しています。
闇龗神(くらおかみのかみ)は、高龗神(たかおかみのかみ)とは、同一の神、または、対の神とされ、その総称が龗神(おかみ)です。
龗(おかみ)は龍の古語で、龍は水や雨を司る神として信仰されてきました。「闇」は谷間を、「高」は山の上を指す言葉です。
祈雨(きう)、止雨(しう)、灌漑の神として信仰されています。
木製の七十五段の階(きざはし)
本殿は、拝殿から急な階段を登った山にあり、普段は近ずくことができないですが、例祭の時はお参りできます。
本殿付近には神社の前を流れる丹生川の石26個で囲まれた矩形の石群が残っているとのことで、 それ以外にも無数のこぶし大の石が本殿近くにあるようです。
創始の頃には本殿はなく、丹生山を神体山としていたのでしょう。
神社の創建は、伝承では、丹生社の鳥居が洪水によって流されてきたので、それを拾って神体として祀ったのが始まりだと言います。
しかし、背後の丹生山山頂に、祭祀遺跡と考えられる石群があること、また、丹生川流域には丹生神社が点在すること、地下水が噴き出す場所であることから、昔から水神への信仰があったのではないか、と言われています。
神馬
下社で一番に目を引くのは、白馬と黒馬です。
昔は、晴れてほしいときは白馬、天が欲しいときは黒馬が朝廷より献上されていました。室町時代頃から途絶えていましたが、600年ぶりに2012年に神馬献上祭りが行われました。
牛石、蛙石
大正天皇の即位記念に、丹生川から人力で引き上げられました。
牛はじっくり歩む、蛙は瞬発力があることから、人生や商売の教えとされています。
産霊石(むすびいし)
男根と女陰の御神体が重なり合い、石のそこに約10cmほどの深い穴が空いている。神様に祈願して子宝に恵まれた信者が、丹生川で禊をしたときに川底にあった石を奉納しました。
丹生の御食(にうのみけ)の井
井戸から繋がった蛇口からお水が出ます。水量が多くないので、たくさんはいただけません。
丹生の御食(にうのみけ)の井
井戸から繋がった蛇口からお水が出ます。水量が多くないので、たくさんはいただけません。
天香山勾玉守り
香具山の土でつくられた勾玉のお守り。12体でお皿に、36体で壷を制作してくれます。1000円
表には、力強く「御神力」と書かれていて、裏には、御祭神の闇龗神(くらおかみのかみ)と思われる龍神の姿が描かれています。500円
小さな木の札のような御守りですが、使い方があって、窮地に陥ったときに左手で握ると神力を得られるとのこと。
- 今日は、大事な商談がある。
- 苦手な相手と打ち合わせがある。
- 非常にピンチで、なんとか好転したい事がある。
こういう日に、持ち歩き、人事を尽くした後、神様に結果をゆだねます。
あと、この下社は、名物宮司さんがおられて、お話がとてもいいという事です。