コタンはアイヌ語で集落とか村とかって意味、なはず。
下北沢という曲が懐古とともにここからまた歩み出すなら、コタンはさらにその先に一歩踏み出す曲かもしれない。なので、個人的にはリノセントというアルバムのコンセプトの中でも最も重要な曲、と言っても過言ではないです。すっごい!いい曲できたな~と未だに思ってます。歌うのが実はとても難しいのだけど…。特にAメロ…。
始まりはやっぱり、2022年の年明け以降だったかしら?サビのメロディから始まって、そこを固めるのに悶々としていたと思う。曲を作る時にいくつかパターンがあって、明確にこうだ!ってコード進行から作るパターンと(滅多にない)メロディだけ浮かんでコードを当てるパターンと、ギターを弾きながら思いつくままに行き当たりばったりに作っていくパターンと、他、いろいろ、の中でコタンはもう物の見事に思いつくままに行き当たりばったりに作っていった曲。サビのコード進行が独特で、自分としても、えー!??これってありなの??と思った。けども、聴いてる分には至極自然でそんなことまったく思わないのではないだろうか。と言うくらい、自分としてはマジックが宿った曲です。奇を衒う(てらう、ってこういう漢字なのか~!書けね~!行いの中に玄、漢字ってよくできてる~!)訳でもなく、気持ちのいい方に流れていったらこのメロディとコード進行に行き着きました。前半はとてもわかりやすくて
C→Fadd9→G→E7/G#→Am→G
と、耳馴染みのある流れなんだけど、そこから
D7/F#→Fadd9→C/E→D7/F#→Fadd9→G
っていう流れ。
はいどうでもいい!と思うかもだけど、ルート音がF#FEと半音ずつ下がってきてそこからまたF#Fに戻るんかい!!と、自問自答してしまった。ん?いいの?これでいいの?なんでこれで気持ちいいのだろ?と。随分検証してみたけど全然わからない。独学なもので…。それでも自分から生まれたものながらそれがなぜそう響くのか?心地よいのか?(あるいはキモいのか?)ということを、今まで作ってきた曲は須く(すべからくってこう書くのか~!書けね~読めね~!)後学としてその響きを検証、考察し続けてきました(たまに山下君との酒のアテにも)。それでもここまできてなお俺としては今まで開けたことない扉を開いてしまった感じで、ものすごくファンタスティックでエキサイティングな瞬間でした。誰かの曲でも聴いたことのない響き。気づかぬうちにあるのかもしれないけど、意識している中では今まで出会ったことのない響きでした。それを自分で発見してしまった喜び。宝を掘り当てたような感慨がありました。「いつかのまだ穢れのない心のまだどこかに残った」のところです。もっと詳しく言うと「心のまだどこかに」のところです。

やっぱり聴いてる分には何も思わないだろうけど、そこが大事なのです。聴いてる分には普通に聴こえる、けどそこに一手間かけてる、それが大事。いざ、ギター弾ける人がコード拾ってみよ~楽勝っしょ~と思ったら、何これ??ってなる感じ。下北沢もそうだけど、リノセントは全体的に一聴ポップだけどそういう仕掛けが多いです。小難しいことを小難しく聴かせないようにっていう。

結果、まあ、気持ちいいならいいやあ、とこれで進めることにして、次は他の部分だ~と取り組んだらまたもやこれ、気持ちいい方に気持ちいい方にだらんと流れていったらこのメロディが出来あがってました。これもまた自分としてはちょっと新しくて、今までだとAメロ!Bメロ!ってハッキリした曲が多かったんだけど、コタンに関しては気づいたら展開が進行している感じ。やっぱりこれも聴いてる分にはどうでもいいところなんだろうけど、自分としては、おぉ…って感じでした。めちゃくちゃいいやないか…と。ここにまた歌詞がハマった。歌詞を書く前は地獄なのに書けてみると解き方のわかってるナゾナゾみたいで本当に変な気持ち。これ以外なかったやん、て。揺るぎなく大声で、のところとか、まんま力一杯大声ですし。
で、この曲、いざデモを作ってメンバーに送るって時にこの曲の持っていきたいイメージを一言添えたのです。こういう曲はLUNKHEADは油断するとデカい曲になりがちなので(アルバムに一曲そういう曲入れがち)、敢えてそういう風にしたくなかった。もうちょっと、ライトでポップな曲調にしたかった。というのもそういう曲がないから。そういう旨を伝えて、それがまた見事にみんなとパン!と共有できたのです。確かにそういう感じの曲だね~!と。本当に響かない時は響かないのですよ…。そしてマスター桜井はこういうテンポ感の曲が好き、だと思っている。一番近いのがスワロウテイルだろうか?(そういう意味でもRe:innocent感…そしてマスターはスワロウテイルが多分好き…)悟は悟でもう存分にトゥルペトゥルペしているし。こんな曲だけどリズム隊はパーリーパーリーを心置きなく謳歌しています。そんなリズム隊を見てフフフ…とほくそ笑む俺。リズム隊がハジけるほどに安心してしまう俺はもうLUNKHEAD病です。そしてきっとアナタも…。
それで一回スタジオに入ってみた後だろうか?イントロもうちょっと色気付きたいと思ってしまい、なんか、アメリカンなフレーズ入れたいんだけど、と俺が山下君に提案して。その時は俺のコードバッキングと山下君のアルペジオだけだったけど、山下君としてはこれで成立してない?と言い張って全然ピンときてなかったので、新たにイントロだけデモを作り直して送ったのです。アメリカン、それも俺の漠然なイメージで言うと西海岸的なフレーズを加えたものを。そしたらそしたら!山下君曰く、これ完全にOasisやないか、と。完全にノエル・ギャラガーだと。そう、俺がアメリカ(西海岸)だと思っていたものは実はイギリスだったのです(爆)。大陸を超えたね~。まあ俺としてはアメリカだろうがイギリスだろうがどっちでもよく、とにかくアイヌの開拓民のパカーンとした感じ(個人的な感想です)を出したかったというわけです。それを踏まえて俺のデモを元に山下君がフレーズを整えて、いい感じにイナたくてダサいギターを入れてくれました。最高です。そうか、これはイギリスだったのか。そういう意味ではスポットライトはアメリカなのだろう。わからんけど。でも俺の中では山下君は完全にアメリカな男。レッドツェッペリンが好き、とか知らぬ。アイツはアメリカ(個人的な感想です)。
そんな感じで、非常にスムーズに、作曲した俺としてもイメージ通りに曲の骨格は出来上がっていったように思う(マジで、そうくる?的なケースもあるし、そのまま、そんなんだったらもういいやと俺がバツ出してボツるケースも結構あります)

歌詞は、当時世間ではちょうどゴールデンカムイ現象が巻き起こっていて、俺もそれに漏れなく巻き込まれておりまして、公私ともにめちゃくちゃやることあったんですがなけなしの自由時間を全て費やし寝る間も惜しみゴールデンカムイを読むことに没頭しておりました。めちゃくちゃオモシロイ!!めちゃくちゃオモシロイです!!ゴールデンカムイ!!この感情の揺さぶりは必ず表現として形にしなければならない!と謎の使命感で(言うと聞こえがいいけど)書いたのがコタンの歌詞でした。とはいえ、インスパイアされたと言っても感じたものを自分の中で咀嚼し、そこから生まれた思いを言葉にしただけでゴールデンカムイを読んでないと意味が通じない、ということでは全然ない、なんてことは言わずもがなだと思いますが。
俺はゴールデンカムイに登場する人々のような壮絶な人生を歩んではいませんが、それでもそれなりな時間を生きてきて、生き延びるためにたくさんのものを失ってきたし汚れてきました。こんなに失い続けてまでこんな世界で生き延びる価値とは、命にすがり続ける理由とは?と思う中で逆に得てきたかけがえのないもの、まだ失っていないもの、それらを顧みてこの歌詞を書きました。それは小高芳太朗でもあるし、LUNKHEADのことでもあります。繰り返しになりますが、下北沢が懐古の曲ならコタンは覚悟の曲です(そういう意味でも下北沢は1曲目しか有り得なく、コタンはこの位置しかなかった)。コタンは集落とか村とかって意味ですけども、この曲の中では故郷、帰るべき心の在処を意味しています。それは朧げに遠くに、それでもまだ確かに灯っていて、そしてまた心の中のどこかに存在し続けているはずだ、と。とうに失くしてしまった、帰れない、だけど失くしていない、得てきた、それと共に帰るべき場所。それをこの歌詞に、そしてコタンというタイトルに込めました。
非常に気に入っている曲です。ライブでどんな感じになるかな~?ワクワク!!



おまけ
ゴールデンカムイを読んでなくても、と綴りましたが、敢えてゴールデンカムイを読んだ人に伝えるなら、この歌詞は「干し柿」だと言えば、なるほどねってなるでしょうか。