子供の習い事の送り迎えをしていた。
始めた頃は低学年だったので
その施設まで送りに行って
習い事が終わるまで本を読んだりして時間を潰していたけど
高学年になったら
途中の大きな道路を越えたらあとは一本道なので
そこまで送って一旦家に帰るようになった。
(帰りは真っ暗なので施設まで迎えに行く)
その送りからの帰り道
ちょうど夕暮れ時で
公共団地の横を通る。
その公共団地をいつも眺めていた。
窓に次々と灯っていく明かり
そこに匂うそれぞれの暮らしの気配

日が短くなりだした
2017年の秋頃だと思う。

俺は1歳半から小学校2年生の春まで
王子アパートという公共団地で暮らしていた。
産まれたのは母の実家の千葉だけど
流石にその頃の記憶はなくて
俺の最初の記憶は王子アパートから。
アパートといっても鉄筋の4階建てが4棟あって
団地内には公園もあって空き地もあって
随分広く、立派なものだった。
小学校に上がるまではその団地の敷地内が俺らの王国だった。
父の会社の社宅なので
団地内はみんな身内みたいなもんで
週に1回、トラックの八百屋も来てたし
魚屋も来てた。
田の形に4棟ある団地の真ん中は
お母さん達の井戸端だったし
その周りで俺らは遊んでいた。
逸平君という同い年の幼馴染がいて
二人で木の上や1階のベランダの下や空き地の茂みに基地を作った。
走っても走っても雲に追いつけないのはなんでだろう?
と真剣に思っていた。
たくさん怒られたしたくさん泣いた。
たくさん悪いことをしたしたくさん楽しいことをした。
自転車に乗れるようになったのも王子アパートの敷地内だった。
ちょっと年上の団地内のお兄さんから
おさがりでもらった
巨人の星の自転車だった。
初めて補助輪なしで自転車に乗れた瞬間はいまだにはっきり覚えている。
そんなわけで
王子アパートにはいろんな思い出が詰まっている。

多分、その頃を思い出すんだろう。
その公共団地の横を通るたびに
なんとも言えない寂しいような切ないような気持ちになった。
俺は今東京で暮らしている。
なんと父親になって子供の習い事の送り迎えまでしてる。
随分と遠くまで来たものだ。

そんな横を猛スピードで車が通り過ぎていく
狭い路地なのに
子供が一緒だったらと思うと恐ろしい。
そんなウジ虫みたいなやつは
頼むから単独で事故って1人で死んでくれ
と、心から願っていた。

レコーディングが終わって
歌詞カードの素材のために
その団地まで写真を撮りにいった。
真昼間に見るその団地は全然馬鹿デカくなかった。
それこそ王子アパートくらいの
4階建てが4棟くらいの。
子供の俺にとっては
王子アパートは巨大な建造物だった。
多分、その感覚で見てたからだと思う。
はて困った。
こりゃ全然ばえん。
ということで馬鹿デカい公共団地を探してまわった。
そして見つけた歌詞カードの団地は
東京都内の某所にあるそれこそ馬鹿デカい公共団地で
数年前に
死後数十年経った、オムツをつけたままミイラ化した
赤ちゃんの死体が見つかったことでちょっと話題になった団地だ。
だからなんだ、という話だけど。
馬鹿デカい公共団地が見つかってよかった。
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