それでもってアルバムを作ろうと思ったのは
この曲ができたからだと思う。
アリアルができてからパッタリ曲が作れなくなった。
アリアルツアーの動員が散々だったこともあって
なんか新曲作る意味ってなんなんだろ?って
虚しくなっちゃってたのかもしれない。
春に激闘の2週間の末に
つばきの一色徳保が死んで
心にぽっかり穴が空いてたからかもしれない。
夏の終わりになんかぽろっと出来て
多分、ソロの時にどこかで
新曲ですって歌ったような気がする。
でもその時は別に作品にする予定もなかったし
完全に一色徳保のことを歌った曲なので
パーソナルすぎてLUNKHEADじゃないなと思ってたし
でもこの曲があったからこそ
それでもってアルバムを作りたいと思ったのは
確かだと思う。
すごい細かい部分だけど
アレンジに関しては結構つばきの冬の話をオマージュしてて
1番と2番のつなぎとか、歌詞とか
歌詞の最後と曲の終わり方を曖昧にしたのは意味があって

僕は今日も歌を、

歌っているのか、歌っていないのか、
聴いているのか、聴いていないのか、

僕は今日も歌を、
を句点で終わってるのはミスかわざとかって
校正の時に青さんから確認がきた。
わざとです。
句点があると、続きがある感じがするから

まだ俺は歌を歌っている。
いつまで歌えるのかわかんないけど
まだ俺は今日も歌を歌っている。
つばきも聴いてる。
ナンバーガールやくるりも聴いてるし
AIRやミスチルや
TWICEやBTSだって聴いてる。

何十年経ったとしても
心は共にあると思ってる。

色々語り出すとキリがないけど
つばきの曲を歌うたびに
胸が締め付けられるたびに
涙がこぼれてしまうたびに
ああ、ちゃんと俺の中に一色徳保が生きてるってほっとする。
けど俺はラーメンも食べるし
ライブでちゃんとみんなと笑いあいたいよ。
生きてるうちはちゃんと生きていきたい。
けど、生きることへの執着とか
死ぬことへの恐怖とかがだんだんなくなってきたのは
向こうで待ってる人がどんどん増えてきたからかもしれない。

のりちゃんの最後の2週間、
24時間常に誰かがそばにいなくてはいけない状態で
俺はのりちゃんの看病の深夜シフト組だったので
5月9日も夜勤だったので
朝、5時半くらいまでのりちゃんちにいた。
死ぬ、2時間前までそばにいて
ちゃんと生きててあったかくて
よかった、なんとか今日も朝シフト組に繋げた…と思って
家帰って眠ろうとしたら曽根さんから電話があって
亡くなったって
曽根さんも今向かってるところだって
何日もほとんど寝てなくて朦朧としてたし、
あの時の感情を表現しようがない。
覚悟はしてた。けども。
それでも今日はやってくるから
少し寝てやらなきゃいけない自分のことをやった。
午後、死んだのりちゃんに会いに行った。
のりちゃんに触って最初に自然に口から出た言葉は
「つめたいね」だった。
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