この曲もなんとなくぽろりぽろりとできた曲で
(こういうふうに書くと全部の曲がそういうふうにできたように聞こえるけど…できるまでが長いのです…)
気づいた人は気づいたと思うけど
俺の人生のバイブルと何度も言っている氷室冴子先生の
海がきこえるの中に出てくるエピソードで
主人公の杜崎君が
津村さんという女性が去っていく中
ただ突っ立っているだけっていうシーンが出てくるんだけど
あんまネタバレしたくないので詳しく書かないけど
(ちなみに二人は恋仲ではない)
たった半ページのその情景が
痛く心に刺さって
ずーっと
初めて読んだのは17歳くらいだったから
13年以上?
その取るに足らないシーンがとても好きで好きで
もしも、もしも彼女が戻ってきた時
(そしてそんなことは絶対にないとわかっている)
そこに自分がいたら少しは彼女の寂しさが救われるんじゃないかって
そして、それしか自分が彼女にできることがないって
それはとてもとても日常のありふれた風景の中で起こった
本当になんてことのない描写で
でもその描写がとても好きで
(なので、ぜひ全人類に海がきこえる、そして続編の海がきこえるⅡを読んでほしい)
そのシーンがモロにサビに影響されているのは言うまでもない。
(挿絵を描いている近藤勝也さんが新居浜出身だと知った時の感動たるや…)

ガラスのコップって、作りたてだと落としても割れないって知ってました?
作りたてのコップは床に落としたくらいじゃ割れないんです。
(そりゃ無茶苦茶な勢いで叩きつけたら割れるだろうけど)
なんで落としたコップが割れるかというと
それはもう歌詞の通り
目に見えない細かい傷が降り積もって
そのせいで割れるんです。
なんだか、それって恋愛みたいだよなあと思って
(恋愛に限らず、人間関係全般かもだけど)
見えない傷が降り積もって降り積もって
そしてある日、本当に取るに足らないことで
ヒョッ、と手がすべっただけで
すべてがあっけなく砕けてしまう。
大事に大事に使ってきたはずなのに
傷が降り積もってることにも気づけなかった。
そのせいで。
最初は、なんでも許し合えたのに。
でもそれは新品のコップだったから。

そんで、恋愛の終わりってとてもあっけないもので
別に世界なんてまったく変わらず動いていくし
自分の生活はあるし
ただただ、砕けたガラスを掃除するだけ。
ちょっと指にガラスが刺さって鈍く痛んで。
そんだけ。
それもじきに治ってしまうだろう。

そうやって歌詞のプロットを考えていった時に
サビの歌詞でズバババーン!!と、
前述の海がきこえるのシーンがリンクしてしまったのです。
最後の最後に自分が彼女にできる優しさ
ずっと二人で一つだと思っていたはずが
決定的に違う世界の人になってしまった彼女への
本当にバカみたいな男のしょうもなさと
女の強さ、潔さ、というか
それってすごい、恋の終わりっぽいなと思って

そうやってできたのが
割れたガラスはもう元に戻らない、でした。

続く