どうせなら
ってタイトルがすごい気に入っております。
どうせならって少し後ろ向きなニュアンスがありますよね。
ほんのりと諦めっていうか
その感じが好き。
いきているからの歌詞に
諦めることを諦める、って出てくるけど
これは俺が敬愛する日本橋ヨヲコ先生の
極東学園天国に出てくる台詞です。
諦めることを諦める
後ろを向いた状態から後ろを向く
なんて一周回って前向きな言葉なんだろう、と
感銘を受けました。
どうせならってそれに近い感じというか
開き直りみたいなイメージなんです。
俺の中では。

この曲はLUNKHEADのボツ曲で
当時恒例となってたクロスロードスタジオの曲出しRECでも
デモを録ったくらい結構ちゃんとアレンジまで行ってて
冒頭のスリップした感じに聴こえるところも
LUNKHEADでアレンジ進めてた時にすでにあったアイデアでした。
ここ、ドラム録るの大変だった…難しくて…
振り返って聴くと
全然LUNKHEADでもアリじゃん、と思うんだけど
バンドって不思議で、どんなにいい曲でも旬をすぎるともうダメなんです。
俺がピンと来てても他のメンバーが全然ピンとこないともうダメ。
いつだかもぎたての更新特典でボツになったデモをプレゼントしたことがあるけど
壮のコメントが
何故だろう 今更ピンときている
だった。
けどいざ次のアルバム作ろうってなった時に
あのデモだけどって話をしたら
今は全然ピンときてない
って身も蓋もなくあっさりバッサリでした…笑
そんなわけでこの曲もまあきっと
LUNKHEADで日の目を見ることは100%ないだろうと思って
ソロアルバムに入れることにしたってわけです。
桜井さん好きそうだけど。

頭のスリップするアレンジはあったけど
多分、間奏とかはなかったから構成は練り直したんじゃないかなーと思います。
リフを含めてギターアレンジ全般やベースラインも。
全体的にすごいポップなんだけど
少し気だるいというか
ちょっとアンテナくらいの頃のくるり感を自分では感じます。

あとこの曲
サビがジャンジャカジャンジャカなるけど
こういうのなんていうんだっけ?
あそこのドラムは結構うまく叩けてる(つもり)で
俺こういうの結構得意じゃ~ん!
と思いました。
でも今聴くとやっぱヘボいな!
あとサビのハモリが実は割と複雑な3声になっていて
そこに注目して聴いてみてもらうと面白いかも。

歌詞も、すごい気に入ってて
気に入っているというか
なんていうのかな
肝にいつも命じている言葉、というか

悲しみを忘れる必要なんかどこにもないぜ
それでも心から笑える日が来てもいいんだぜ

っていうのは他の曲でもかなりテーマにしてますよね。
光の街とか、はるなつあきふゆはるとか、光のある方へとか
小さな反逆もある意味そうですね。
ユキシズクとかも。

死にたくなるような悲しみを抱えながら
幸せに向かって生きていくのは
本当に苦しくて残酷なことだと思ってます。
それでもやっぱり生きていくってことは
幸せに向かっていくってことだと思いたい。
心から笑うこと、喜ぶことであってほしい。
誰しもが。
そう思ってしまうのは
俺がそんな悲しみを抱えてないからかもしれない。
そんな悲しみを知らないからかもしれない。
でもやっぱり
自分の大事な人が
悲しい時にホッとするとか
嬉しい時に辛くなるとか
そんなあべこべのまま生きていくのは切ない。
だから、ほんとしょうもないことで
くだらない馬鹿みたいなことで
馬鹿みたいに笑いあっていたいなあって思うんです。
その暗闇は俺には照らせないけど
その暗闇でアホみたいなことで
心から笑ったっていいじゃないか。
それが誰かや何かへの裏切りになんか絶対になるものか。
悲しい思い出は消せなくても
楽しい思い出はいくらでも積み重ねていけるし
それは天秤にかけるものじゃない。
と、馬鹿の一つ覚えのように
この20年ずっと思ってます。

変えられない昨日と
始まってもいない明日と
俺らは未来を想像できるし創造できる。

くだらないことしていたい
馬鹿みたいなことで笑ってたい
どうせ生きていかなきゃいけないのなら
どうせならね。