2015年の秋頃
突然作るモードに入って
5曲くらい一気にできた。
その中の1曲が優しくしたい人がいるだった。
その時送った曲たちはどれも
これはめちゃくちゃいい曲ができたな!!
と思った曲たちで
デモをみんなに送って後日
山下君にデモどうだった?と聞いたら
真顔で、全部よかった、と言ってくれた。

曲がしっかりしてたので
アレンジはほとんど行き詰まらなかったと思う。
頭と終わり方くらいだったかな?
ちょっと詰めたのは。
Aメロの感じは自分の中で結構斬新だった。
Gadd9→D→A→A#dim→Bm7→A
Gadd9→D→Em→F#m→G→F
の最後のFのところからの
後半
Gadd9→D→A→A#dim→Bm7→A
Gadd9→D→Em→F#m→A#M7→C
の最後のA#M7→Cのところ
ここの流れは今までになかったな~と思って
ありそうでなかった。
今までのLUNKHEADっぽい曲でもあり
今までになかったLUNKHEAD感もあった。

俺の人生のバイブル
「海がきこえる」の
パート2の方の中で
今夜はもう、どんな否定の言葉も口にしたくない
もう、どんなマイナスのことにも触れたくない
ただ優しいもの、暖かいものだけに触れていたい
ていう部分がある。
(ちなみに今読み返していて、この章の最後は
少なくとも眠ろうとした。
という言葉で締めくくられていて
夜行バスのサビはここからだったのか…!!
と、驚愕している。)
そういう日は確かにある。
こういう時代だから
SNSを開けば
もうゴンゴンにマイナスの言葉が日々溢れかえっていて
どうしてそこまでして関係ない人の人生に
ゴンゴンに刃物のような言葉を突き立てられるんだろう?
世の中ヒマな人が多いなと思ってしまう。
自分に関係なくても
そういう言葉を見てるととてもしんどくなる。
ある日、やっぱりそういう夜があって
本当に優しいものだけに触れてたい夜があって
(最近だと、ツイッターの空耳アワーbotで
往年の名作達を見てゲラゲラ笑ってます)
そして、優しさってなんなんだろうな?と考えてた。
優しさってなんなんだろう。

昔から、優しさ、って言葉に抵抗があった。
俺は自分が優しい人間だとは思わないし
優しさってのは
受け取るものであって
与えるものではないと思ってる。
優しさと思って与えたものが
受け取る側にとっては優しさじゃなかったりするし
だから例えば
電車で席を譲るとか
道を聞かれて
その場所まで一緒に行くとか
重い荷物を持ったおばあちゃんの荷物を持つとか
子連れのお母さんのベビーカーを担いで駅の階段を上るとか
そういう行為は
うんこをしたら尻を拭くのと同じだと思ってる。
息を吐いたら吸うのと同じくらいのこと。
そして俺は
俺はというか人は
誰しもに平等に優しくなんてできるわけない。
誰しもに平等に優しくできないものが
優しさと呼べるんだろうか?
自分に余裕があれば優しくできても
余裕がなくなれば途端に優しくなれない。
する側でもされる側でも今まで何度も経験してきた。
自分の気分次第で変わってしまうものが
それが優しさと呼べるんだろうか?
だけど
ふと思った。
それでもやっぱり
優しくしたい人が、いる。
優しくできるのかどうかはわかんないけど
でも優しくしたい人が、いるな、と。
優しくしたい人がいる、ということが
結局すべてなんじゃないかなと思った。
優しくしたい、と思えることは
優しくしてもらったからで
それに報いたい、というか。
なにか返したい、というか。
それが相手にとって優しさかどうかわからない。
けども、俺はその人に優しくしたい。
そう思えることが大事なんじゃないか。
ライブでね
みんなが笑ってくれてると
嬉しくて、泣きたくなるし、笑いたくなる。
泣いてる人がいると
ありがとう、と思って
やっぱり笑ってあげたくなる。
優しさってなんなのか、結局さっぱりわからない。
でも
優しくしたい、と思える人がいる。
それは、とても幸せなことだと思う。