2014年の秋、俺らはデビュ-10周年のツアー
10NK YOU ALL LUNKHEAD’S!!!!!!!!!!ツアーをしながら
並行して「家」のレコーディングをしていた。
割とよくあるパターンだけど
ライブの熱をそのままレコーディングに持っていけるメリットはあるけども
頭の中のスイッチを切り替える作業が大変だったりする。
そしてとにかく時間がない。
貧乏バンドマンはツアーとなると
車移動の時間が生活のほとんどになるので
なかなか作業する時間が限られてくる。
俺ノートパソコン持ってないし。
で、いよいよツアーの最後、名古屋、大阪、高崎が終わったら
3日後に最後3曲のレコーディングを残すのみ
というところまで来た。
その時点で僕たちには時間がないのデモはできてて
懺悔室はまだだったかな?
歌詞はまったく書けてなかった。
玄関に至っては曲すらなかった。
なので間に名古屋、大阪、高崎と3本残した状態で
2週間後のレコーディングまでに
歌詞3曲分、アレンジ3曲分
そしてまっさらな状態から後1曲作らねば
という状態。
11月25日だった。
帰ったら早速デモを作らねばな…
と思いながら福岡帰りの月曜日
機材車でジャンプを読んでいた
山口県の美祢市あたり
まだ午前中
とても良い天気だった。
機材車が自損事故を起こした。
事故のこと自体はまあ
昔散々伝えたので割愛するけど
とにかく全員生きてたことと
他人を巻き込まなかったことが
不幸中の幸いだった。
で、結局俺らは
病院で検査を受けて
警察の聴取を受け終わることには
とっくに東京行きの電車はなく
一番大怪我をした悟が担ぎ込まれた山口一デカい病院のある
防府市のホテルに泊まることになった。
(そこまでたどり着くのもすげー大変だった…交通手段がなさすぎて)
そして次の日レッカーされた機材車の場所まで赴いて
置いてきた荷物をピックアップして東京に帰ったのだった。
俺のカーキ色の上着は悟の返り血で真っ赤に染まっていて
多分みんなギョッとしたと思う。
おかげで、ただでさえ全然時間がなかったのに
さらに時間がなくなってしまった。
ヤバい、ヤバヤバヤッバー!!
どどどどどどうしようー!!
時間がない!時間がない!!
僕たちには時間がなーい!!

ということで書けたのが
僕たちには時間がないだった。

俺も肋骨やったなと思ったくらい胸を打って
(結局折れてはなかったんだけど)
それでも本当にいちいち何をするにも胸が痛い忌々しい日々が
1ヶ月くらい続いた。

知ってる人ならば誰がどう見たって
これは事故のことを歌ってるなとわかると思うけど
悟も、これは本気で俺の気持ちを歌ってくれとる
と、すごく気に入ってくれてた。

辿り着きたい場所がある
譲れはしない思いがある
ときて
明日食べたいものがある
だから僕たちはまだ死ねない
と急に俗っぽくなるところが気に入ってて
ここにもはるなつあきふゆはるイズムだけど
生きていく理由なんてそんなことでいいんだと思う。
辿り着きたい場所はあるし
譲れない思いもある
それも確かに死ねない理由だけど
でもやっぱ明日食べたいものがあるって
生きてる中で物凄い救いというか、希望だと思う。
もう死んじゃおうかな…ってふらっとホームから飛び降りようとした時
あともう一回だけあのラーメン食べたいなって思って
踏みとどまるかもしれないじゃない。

やることがありすぎてテンパってる時にいつも心がけるのは
とにかくまずひとつ仕上げてみることで
そうすると少し視界が良くなる。
少し心に余裕ができる。
ひとつ仕上がったらまたひとつまたひとつ
そうするとどんどん視界が開けてどんどん余裕が出てくる。
当たり前のことかもしれないけど
クレバーになることが大事だなあといつも思う。
今度こそ絶対に間に合わない!と思った
この時のレコーディングも
最後のスタジオの時には歌詞もアレンジも3曲ともすべて仕上がっていて
悟だけじゃなくみんなが
事故のことや残りの大阪名古屋高崎のことや
アレンジのことでずっと張りつめていたので
間に…あっちゃったね…
っと4人で思わず呆けてしまった。
逆に張りつめていたことが良かったのかもしれないけど。
潤沢に時間があって良いものができた記憶がない。
‎LUNKHEADの"僕たちには時間がない"
‎曲・4:01分・2015年
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