14日
週刊小年ランク録ってた
壮も悟も、ばあちゃんに一筆くれた

15日
EGO TRIPPINGの撮影してその足で千葉に
EGO TRIPPINGの写真
バングルじゃなくて腕時計なのがいいって言ってくれた人がいたけど
スーツ着るときは父方のじいちゃんの形見のオメガと決めているので
そのせいです
けど俺も写真見て
時計がいいなと思った

斎場着いたら早すぎて
タダのコーヒー飲んで待ってた
16時から納棺
死化粧をしたばあちゃんはまるで眠ってるみたいで
18時から通夜
ばあちゃんの若い時の写真や
じいちゃんからばあちゃんへのラブレターがたくさん発見されたのを
姉がフォトブックに綺麗にまとめたものをみんなで見てワイワイした。
その後は母と姉といとこと俺の4人で火の番
川+1の字で寝る

16日
4人で朝マック
いとこは6歳年下なんだけど
本当に、誇らしいくらい優しいやつで
小学校の先生で
昔はばあちゃんちの隣に住んでて
小さい時はばあちゃんに面倒見てもらってたから
誰よりもばあちゃんへの思いは強いと思う
俺なんか盆暮れしか会うことなかったから

12時から告別式
みんな泣いてた
じいちゃんの時もだったけど
なぜか涙は出なかった
みんなが泣いてる光景を眺めていた
ばあちゃんはちゃんと生きてちゃんと死んだ
それは寂しいことだけど
悲しいことではないんだ
そしてみんながばあちゃんを想って泣いてる
それは悲しいことではないんだ
けどそのうち
ふと、どうでもいい時に突然
唐突に寂しくなって泣くんだと思う
最後にみんなで棺のばあちゃんにお花を手向ける時に
壮と悟が書いてくれた手紙と
自分の手紙も棺に入れた

じいちゃんはアルツハイマーで
みんなで介護してて(俺はしてないけど)
16年前の元旦に死んだんだけど
その日の朝
調子が良くて誰よりも餅を食い
みんなにお年玉もあげられたぐらいで
母と姉は安心して買い物に出かけて
そしてばあちゃんとじいちゃんの二人で昼ごはんを食べている時に
じいちゃんはたまごおじやを喉に詰まらせて死んだ
救急車の中で
もう意識のないじいちゃんを前にして
延命措置をすれば家族が到着するまでは生きていられると言われたばあちゃんは
私一人で看取ります
と言った

ばあちゃんが亡くなった8日
ばあちゃんが最後にとった食事はたまごおじやだったそうだ

こんな話を聞くと
たまごおじやが突然ロマンチックなものに感じられてしまう

15時半に骨上げが終わって
東京にすっ飛んで
アルバムのマスタリングへ
ほんとは16時からの予定だったんだけど
ずらしてもらった。
ずらしてもらえる仕事でよかったけど
壮にも悟にも、エンジニアの白石さんにも迷惑をかけた
マスタリングは順調に進んで
21時半には終わった
白石さんは愛媛出身で
同郷ってこともあってすごく俺らのことをよくしてくれる
しかもたまにしか会えないから
こういう時いつも終わってから飲みに誘ってくれる
けど、この日ばかりはさすがにくたびれてしまったので
俺だけ断って帰ってしまった
早くスーツを脱ぎたかったし
コンタクトもとりたかったし
ほっとしたかったし
ばあちゃんのことを考えたかった

昨日壮と悟に聞いたらしっかり2時間近く飲んだらしい
やっぱ帰ってよかった

通夜も告別式も出られてよかった
なんというか
何度目かも、忘れたけど
こうやって人の死を偲ぶというのは
弔うというのは
お別れだけど
お別れでは、ないんだな
という気がした

お別れだけど
お別れにしないためにするんだな
と、なんだか思った

葬式なんて生き残った人間のエゴだと思っていた
昔は