だれもわたしの手をのがれることができないことを知ってほしい。
なぜなら、わたしは「存在者」であるが、あなた方は、あなたがた自身で存在するのではないからである。
あなた方は、わたしによって造られた程度にしか存在しない。
わたしはすべてのものの創造主であって、これに存在を分つ。
しかし、罪の創造主ではない。
なぜなら、罪は存在ではないからである。
したがって、罪は「わたし」によって創造されたものではない。
罪は「わたし」の中にはないから、愛される価値がない。
被造物は「わたし」を愛する義理と義務とがある。
なぜなら、わたしは至高の善であり、しかも、きわめて熱烈な愛をもって、被造物に存在を与えたからである。
ところが、被造物はわたしを侮辱する。
なぜなら、愛してはならないもの、すなわち罪を愛するからである。
しかし、人間は、わたしからのがれることができない。
かれらの過失を罰するわたしの正義に捕えられて、わたしの中にいるか、あるいは、わたしの慈悲に守られて、わたしの中にいるか、どちらかである。
知性の目を開いて、わたしの手を眺めるがよい。
わたしが言っていることが真理であることが分かるであろう。
『 「生活の中に降りられる神」より』
マリア様のご加護がありますように。