世の中には一緒にいる価値のない人間というのがいるらしい。

正確に言えば、どんな人からも学べることはあるのだが、あえて、その人からそれを学ばなくていいということがいえることもある。

たとえば、養護施設で育って中卒でパチスロ屋さんでバイトをしている、短躯の醜男。

学べることはあるだろう、もちろん。

さぞかしドラマチックなストーリーがあるに違いない。
養護施設でどうやって自分を高めたのか、現在の職場でどんなキャリアを思い描いているのか…

でも、あえてその人から聞かなくてもいいよね。
長躯の美男子…まで行かなくても、普通の外見の人でいい。

まあこれは極端な例で、養護施設で育ったとか中卒とかはむしろ聞いたことのない三流大学を出た中流の営業ソルジャーよりよっぽどポテンシャルが感じられて、将来はどうなるか興味深い。(がどちらも決してパートナーに選ぶことのない属性)


一緒にいる価値とやらを決めるのはその人であって、自分ではないのだなあといつも思う。

もちろん私もそうやって切り捨てて来ているのだけど、この年齢になると、自分が相手にとって価値がないとき、切ない。

なぜなら、若くてきれいな女というだけでたいていのコミュニティでは歓迎されるが、これが若くなくなり、容姿も劣化することで、反応がまるで違うから。

いや、やっぱりこれは偽善か。


むしろ、せっかく出会ったのに、時間を割いていろいろ話したのに、その価値のない相手だった、というときほどがっかりすることはない。


本当にがっかりする。


いや、同じか…

こちらが価値を認めているのに、相手に認められなくて、社交辞令だけで終わってしまうのも同じくらい失望する。自分に。


自分に、若さを失いつつある自分に、価値があるのだろうか。

簡単にヤれる女、とか以外のまともな価値を見いだしてくれる人はいるのだろうか。


一緒にいて居心地がいい、とか。


そういう基準でそもそも相手を選ぶ人はそう多くないんだろうな。

婚活では。

まず年齢、まず容姿、まず体の相性?


くだらないとは言わないけど、HIVとか子宮頸がん広がるのわかる気がする。




リスクを取らないとしあわせにはなれない。

ほとんどの人はね。

政治家の娘に生まれて資産家に嫁ぎたかったとか言ってもそれは叶わない。

ただ、政治家になることも、資産家になることも、禁止されてはいないし、政治家の妻や資産家の妻になることが許されない身分ではない。

そこに救いってあるのかな?

むしろ、確固たる身分制度があり、それを超越できるのは誰もが認める容姿や能力だけ、という方が、不満を持たなくてすむような気がする。

私だって、経済的に余裕のある人との結婚が最初から禁じられていて、一生年収300万から上がる予定のない男と苦労して生きていく運命ってわかってたら、最初からお金のかかる趣味なんて持たなかったし、狭い世界で幸せを見つけられたような気がする。


不幸は、手の届かないものを知ることにある。

それを原動力に頑張れる一握りの人間と、そうではなくて一生苦しむだけの人間とがいる。

メディアも罪だ。


経済力がないと手に入らない幸福をこれでもかと見せつける。


夜、見上げれば月がきれい、なら万人の味わえる美だろうが、襲名披露公演の初日の良席は限られていて、誰もが味わえる瞬間ではない。


世の中は、公平ではない。


わかっているから、それを知らない子供がうらやましくて、妬ましくて、日々の不条理の捌け口を求めて虐待とかしちゃうのかしら…?



とにかく人生に疲れた…



英語フランス語スペイン語ができたとして、何かいいことありますか?

ないです。

中国語でもやるべき?

いやそれくらいならラテン語で日記つけたい(笑)