先日、広島への原爆を投下したパイロットの最後の一人が亡くなった。
最後まで、原爆投下を正当化していた。
米国兵士として、それは当然だと思う。
戦場での殺戮を否定したら成り立たない職業だし、一般市民まで無差別に、大量に、筆舌に尽くしがたい苦痛を与えて残虐に殺したことを直視したら、普通の人間には耐えられないのであろうから、無理もない。
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職業意識に基づくアイデンティティのためであれば、仕方ないと我慢できる。
私が耐えがたいのは、宗教的立場によるもの。
キリスト教とイスラム教、一応ユダヤ人も含めて、唯一神を信じる人間は地球上の過半数を占めている。
信心の度合いにもよるが、狂信者のみなさんは、たとえ核戦争が起こったとしても、いや、自分が起こしたとしてさえ
「神の思し召し」
の一言で済ますだろう。
その思考停止が恐ろしい。
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「人事を尽くして天命を待つ」
私はこの言葉が好きだ。
なんでもかんでも神頼みはよくない。
結婚したら相手が新興宗教にはまっていた、とかは論外だが。
敬虔なクリスチャンというのもちょっと腰が引ける。
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広島と長崎がなかったら、戦争は終わらなかった?
そうは思わない。
逆だろう。
戦争が終わりかけていたから、壮大な実験をしたかっただけだろう。
敗戦国の悲しさ。
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日本はアメリカの51番目の州だと皮肉交じりに言われてきた。
人種的文化的相違の大きさと、アメリカの4割にも上る人口がその実現を防いでいたと思う。
それが、際限のない規制緩和と人口減によって実現される日が近づいている。
米中の力関係が今後どうなっていくかわからないが、日本が自立できるはずもなく。
100年後、日本が「日本州」となっているのか、「日本省」になっているのか、知らなくて済むことがむしろ幸いかもしれない。