乱世のなかで比較的恵まれた人生だった人の、唯一の恐れたものは「老い」でした…。
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり 入道前太政大臣
名前がさっぱりわからない作者名になっていますが(苦笑)、藤原公経という人の歌です。
雪と詠まれているので、冬?と一瞬思いそうですが、全然・・・花吹雪を表しているので、
ちょっと時節的には、今の歌では全然ないですけどね。![]()
「花さそふ」 花は桜のこと、桜の花を誘う。
「嵐の庭の」は嵐の吹く庭の、という意味。吹くというのを省略したんですね。
「雪ならで」 雪ではなくて。ここでは、嵐によって庭に散る花吹雪を雪に例えています。
「ふりゆく」 ふる、というのが雪が降るのと、年が「旧る(ふる)」のを掛けています。
桜の花を誘って散らす、嵐が吹く庭で、ふりゆくのは風に舞う花吹雪ではなくて、老いていく私自身であることだよ・・・。
というような意味になります。
この藤原公経という人は、源頼朝と親しくしていたので、最初承久の乱の頃には監禁されたりしたらしいんですが、
結局鎌倉幕府が開かれて、後鳥羽院側が負けたので、乱世の中にあって権力を手にした人なんですね。
出家してからもずーっと権力を手にし続けていた人らしく、人一倍固執するタイプだったのかなと。
それだけに、唯一恐れたのが自分の「老い」だったんでしょうね。
う~ん・・・誰かに似ているなあ・・・。
道長の影がちょっとだけちらつきますが・・・権力って、手にすると離せなくなるんですかね。
でも歌人としてもなかなかだったようで、勅撰集には百首を越える歌が選ばれています。
権力者=芸術的な感性は乏しい、というようなイメージは、この時代にはあまりないんですかね。
何の関係もないんですが・・・。
なんとなく、この時期に桜の写真を貼るのもどうなんだ…と思ったので、
年旧る・・・黄昏・・・夕暮れ、ということで、京都の夕暮れ時の写真を再アップしてみました・・・。
