これも本歌取りの一首です。
み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣うつなり 参議雅経
これからの季節を思わせる、寒く寂しい歌です。
もとになった歌は、万葉集の「み吉野の山の白雪つもるらし ふるさと寒くなりまさるなり」という歌。
こちらは冬だったんですが、それを作者は秋から冬へ移る季節に詠みかえたんですね。
「み吉野」の「み」は、接頭語で、特に美しく地名を指していうときに使います。
「さ夜ふけて」 小夜ふけて 夜も更けて。
「ふるさと寒く」 昔都のあったこの里は、寒さが身にしみて、というような意味。
ここでいう「ふるさと」は、、古跡や昔都があった土地、以前特別なことがあった土地をいいます。
「衣うつなり」 衣を打つ砧の音がすることよ。
「衣打つ」は、布をやわらかくするために、石や木の台の上で木槌で打つことをいいます。
どうやら、秋の夜なべの仕事だったらしいです。
吉野の山に秋風が吹くころ、夜も更けて、昔都があったこの里は、寒さが身に染みて、どこからか衣を打つ砧の音がすることよ。
というような意味になります。
秋も深まって、寒さが身に染みる頃、秋の夜なべ仕事の音がどこからともなく聞こえる…そんな寂しい秋の夜の情景が伝わってきます。
吉野は桜や雪で有名な土地ですが、それが落ち葉も終わったような秋の情景になることで、
山の奥の里の寂しさが前面に出てくるような感じがしますね。
作者の藤原雅経は、新古今集の撰者の一人ですが、とても才能ある人だったそうです。
歌の才能もですが、書もうまく、また音楽や蹴鞠の才能にも恵まれていた人だったんだとか。
特に蹴鞠の才能は秀でていて、「飛鳥井流」という蹴鞠の名門の家を立ち上げた人物でもあります。
ちなみに、実朝とも親しかったらしく、実朝に定家を引き合わせたのもこの人だったと言われています。
どこにどんな縁があるかわからないですね。