秋もいろいろ・・・。
さびしさに 宿をたちいでて ながむれば いづこもおなじ 秋の夕暮れ 良暹法師
これだけわかりやすい歌もないかと…。
でも凄いところは、こんなにわかりやすいのに、情緒がたっぷりあって、その様子がとてもよく伝わってくるというところ。
やっぱり只者じゃないんですね、こういう歌が詠めるというところが。
あまりにも寂しく、耐えかねて住まいの庵を出てあたりを眺めてみると、どこを見渡しても同じ様に寂しい秋の夕暮れであることよ…。
というような意味になります。本当にそのまんまですね。
別段難しいことは何もないんですが、忘れてはならないのはこの歌が「むすめふさほせ」の中の一首である「さ」から始まる唯一の歌だということと、
実は「むすめふさほせ」で始まる歌に「秋の夕暮れ」で終わる歌が2つあるということ、でしょうか。
後で出てきますけど、「む」から始まる歌も最後が「秋の夕暮れ」なんですね。
なので、札をとるときには要注意な一首だったりします・・・。
作者の良暹法師という人は、実は詳しくはよくわかっていない人なんです…。
天台宗の僧侶で、比叡山祇園の別当をつとめていたと言われているようですが、生没年不明で生涯については不明な点が多い人です。
洛北大原に住んでいて、晩年は雲林院に住んだらしいと言われています。
ただ、歌人としてはものすごく尊敬されていたらしく、当時の歌合にもしばしば参加していたようです。
確かに、「秋の夕暮れ」で終わる歌は沢山あって、のちには寂蓮法師、西行法師、藤原定家による三夕の歌と言われるような作品がある中で、
これだけシンプルでありながらも情緒、情感のある歌になっているという点で、とても優れた歌人だったということが伺えるんじゃないかと思います。
飾りがない分、より「秋の夕暮れ」の侘しさが伝わってくるような気がします。
…一応、秋の夕暮れに写したので。使いまわしですが・・・。
