紫式部のライバルの歌です。(苦笑)
夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ 清少納言
この歌、なかなかに難しくてさっと読んだだけでは意味を測りかねるところもあるんですよね。
というのは、中国の故事を知っていないと解読しづらいところがあるのです。
土台になっているのは、史記の中の孟嘗君の故事。
孟嘗君はあんまり詳しくないんで、ちょっと怪しいですが
、確か秦に捕えられた孟嘗君が逃げ出して、
函谷関というところまできたところ、鶏の声が聞こえないと門があかないため、
人が鶏の鳴きまねをしたのをつかって突破した、…とかって話だったと思います。
とりあえず、函谷関というところが、本来夜だから開かないところ、鶏の声がしたから開いたというところが、この歌にかかわっています。
「夜をこめて」の「こめ」は包み隠す、という意味なので、「夜が深いのを隠して」という意味になります。
「そらね」というのは空耳などと同じで、偽物の声、偽物の音を指します。
「はかる」は、この場合おそらく、謀る、が当てはまります。
ここで出てくる「よに」は、決して、という意味です。
夜が深いのを隠して、偽の鶏の鳴きまねで騙そうとしても、孟嘗君の函谷関は開いたかもしれませんが、私の逢坂の関は決して許さないでしょう。私は逢いませんよ。
というような意味になります。
なかなかに教養がないと詠めない歌ですよね。
当然漢学に深くないと、これだけ自分の歌の中に自然に取り入れて詠んだりはできません。
清少納言の教養の深さを物語っている歌だと思います。
この歌を送った相手は、三蹟で有名な藤原行成だそうです。
夜中まで話し込んでいて、でも方違いか物忌みか何かで、夜が深いうちに帰ったので、
まだ話していたかったのに…と清少納言に歌を送ったところ、この歌で返事をしたとか。
経緯はともかく、教養のある二人だからできたやりとりなんでしょうね。
ただ、この歌を読んで行成のように「素晴らしい教養だ!」と感嘆するか、
「何よ、自分の教養ばかりひけらかして!」と思うかは、その人次第ですが…。σ(^_^;)
大体、清少納言は「枕草子」の中でもそうですが、自分の教養の高さをわざと隠したりはしません。
褒められれば大いに喜び、それも嬉しそうに自慢してエッセイに書いちゃったりする人です。
どうやらそれが紫式部にはお気に召さなかったようで、
「そんなに自分の教養を見せびらかすもんじゃないわ!」という風に思ったとか。
まあ性格的な問題もあったと思いますが、どうやら本当に紫式部とは仲がいいとは言えなかったようです。
もっとも、清少納言は中宮(皇后)定子に仕えましたし、紫式部は中宮彰子に仕えたわけで、
その辺の政治的な事情も多少あったかもしれませんが…。
清少納言という人は、枕草子の作者であるということ、中宮(皇后)定子に仕えたということを除くと、意外と知られていないんですね。生没年未詳ですし。
ですが、二回結婚しており、子供も橘則光との間に男の子の則長、藤原棟世との間に娘の小馬命婦を産んでいて、なかなかドラマチックな生涯だったようです。
…何の脈絡もなく、花の写真を貼ってみる…。
