この人も早くに亡くなったんですね。。。
あけぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな 藤原道信朝臣
そのまま、の意味です。
「あけぬれば」 明けぬれば ですから、夜が明ければ、という意味になります。
夜が明ければ、また日は暮れるのだということはわかっていても、それでもやはり夜が明けるのは恨めしいことですよ。
というような感じです。
今だったら、「朝は来ない夜はない」なんてフレーズの方が歌の歌詞になっていたりしますけど、
当時はともかく通い婚の時代ですから、夜になると女性のところへ通って、夜が明ける前に帰るという、
なので恋する男(女性も、かな)にとっては、夜が明ける方が恨めしかったんですね。
この歌も、明ければまた日が暮れる、そうすればまた会える、それはわかっているけど、夜が明けるのは恨めしいよ…という恋人に切々と訴える歌なんでしょうね。
ちなみに、この歌も後朝の文だそうです。
それにしても、夜が待ち遠しい平安時代と、明けない夜は無い!なんて歌っている現代と、
時代が違うとずいぶん違うもんですね。
作者の藤原道信は、とっても家柄のよい人で、実の父は太政大臣ですし、自信は粟田関白として知られる道兼の養子になっています。
とっても早くに出世したんですけど、23歳で亡くなっているんですね。
花山天皇の女御に懸想していたという話も残っています。実らない恋が寿命を縮めたんでしょうかね…。
勅撰集には、結構沢山に歌が入っているようで、歌人としてはそれなりに評価されていたみたいです。
新しい写真を載せようと思ったんですけど、間に合わなかったので…。
…それにしても、写真にのせると、明け方なのか夕方の早い時間なのか、良くわからないですね…。
