前回に続き、謎多き歌人の作品です。
田子の浦に うちいでて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ 山部赤人
この歌の田子の浦は現在の田子の浦よりは西南なんだそうです。静岡県にあります。
うちいでてみれば=出て仰ぎ見ると。「うち」という言葉でより強調しています。
白妙のは真っ白な。その後ろの富士の雪にかけてきているんでしょうね、枕詞として。
なので、
田子の浦に出て仰ぎ見ると、富士の高い峰に真っ白い雪が降り積もっているよ。![]()
というような感じですね。もうともかく富士の雪が白くて綺麗!と感動している歌、なんでしょう。
これもまた万葉集に元の歌があって、「田子の浦ゆ うちいでてみれば真白にそ 不尽の高嶺に雪はふりける」というもの。
もとは「ふりける」なので、富士の峰に雪が降り積もっていたよ、というはっきりした言い切りになってるんですよね。![]()
それをまた藤原定家が「ふりつつ」とちょっと経過っぽい感じにして、しかも真白を白妙に変えて、やや直接表現を遠回しにしています。
ちょっと手を加えただけで、結構印象が変わるもんですね。
さて、山部赤人、この人もとっても謎な人。万葉歌人で人麻呂と同じく三十六歌仙のひとりです。
生没年未詳なのも、どうやら下級官吏だったらしいというところも人麻呂と一緒。
聖武天皇のあたりの人らしいです。
宮廷歌人は宮廷歌人なんですけど、下級官吏で、しょっちゅう単身赴任で地方に飛ばされていたようです。…単身赴任かどうかはわかりませんが…。(苦笑)
ただ、そのあっちこっちに行っていることが逆に歌に生きたようで、当時の歌人としては珍しく景色をうたったものが多いです。![]()
多分結構ポジティブな人だったんじゃないですかね、歌風も割と明るいし。
私の勝手なイメージですけど、人麻呂はどっちかというと慎重でやや繊細な感じ、赤人はポジティブで積極的な感じがします。
あくまでイメージですけど。σ(^_^;)
人麻呂とこの山部赤人、どちらも「歌聖」とされて、平安時代のひとから尊敬されていたようです。
でも、歌聖とまで言われて、尊敬されていても、元の歌からちょっと改作されちゃうんだなあ…と、なんとなく複雑な感じがします。
当時の流行とか、新しい文法なんかのせいもあるんでしょうけど、多分に藤原定家の好みの問題もありそうな…。![]()
まあその改作のおかげで、現在まで残っている、というのもあるでしょうけれどね。