百人一首を覚えましょう 4、田子の浦に~ | うさぎのしっぽ 猫のあしあと

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前回に続き、謎多き歌人の作品です。


田子の浦に うちいでて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ      山部赤人



この歌の田子の浦は現在の田子の浦よりは西南なんだそうです。静岡県にあります。


うちいでてみれば=出て仰ぎ見ると。「うち」という言葉でより強調しています。


白妙のは真っ白な。その後ろの富士の雪にかけてきているんでしょうね、枕詞として。


なので、


田子の浦に出て仰ぎ見ると、富士の高い峰に真っ白い雪が降り積もっているよ。富士山


というような感じですね。もうともかく富士の雪が白くて綺麗!と感動している歌、なんでしょう。



これもまた万葉集に元の歌があって、「田子の浦ゆ うちいでてみれば真白にそ 不尽の高嶺に雪はふりける」というもの。


もとは「ふりける」なので、富士の峰に雪が降り積もっていたよ、というはっきりした言い切りになってるんですよね。富士山


それをまた藤原定家が「ふりつつ」とちょっと経過っぽい感じにして、しかも真白を白妙に変えて、やや直接表現を遠回しにしています。


ちょっと手を加えただけで、結構印象が変わるもんですね。



さて、山部赤人、この人もとっても謎な人。万葉歌人で人麻呂と同じく三十六歌仙のひとりです。


生没年未詳なのも、どうやら下級官吏だったらしいというところも人麻呂と一緒。


聖武天皇のあたりの人らしいです。


宮廷歌人は宮廷歌人なんですけど、下級官吏で、しょっちゅう単身赴任で地方に飛ばされていたようです。…単身赴任かどうかはわかりませんが…。(苦笑)


ただ、そのあっちこっちに行っていることが逆に歌に生きたようで、当時の歌人としては珍しく景色をうたったものが多いです。霧


多分結構ポジティブな人だったんじゃないですかね、歌風も割と明るいし。


私の勝手なイメージですけど、人麻呂はどっちかというと慎重でやや繊細な感じ、赤人はポジティブで積極的な感じがします。


あくまでイメージですけど。σ(^_^;)


人麻呂とこの山部赤人、どちらも「歌聖」とされて、平安時代のひとから尊敬されていたようです。


でも、歌聖とまで言われて、尊敬されていても、元の歌からちょっと改作されちゃうんだなあ…と、なんとなく複雑な感じがします。


当時の流行とか、新しい文法なんかのせいもあるんでしょうけど、多分に藤原定家の好みの問題もありそうな…。汗


まあその改作のおかげで、現在まで残っている、というのもあるでしょうけれどね。