昨年2010年初頭から続くコロナ禍は未だ終息には程遠く、巷ではマスクの離せない人がいっぱい・・・いや、マスクを強制させられている人がいっぱい・・・

 頼みの綱のワクチン接種も延々として進まず、最近になって高齢者さんの中にはやっと接種済みの人がちらほら 64歳以下の方々、まだ当分接種券は届かないと思っていた方がよさそうですが、このところのワクチンの輸入増による数量の確保で明るい兆しも見えてきたようです。ちなみに実は65歳オーバーの自身ですが、また接種券は送られてきません。特に、在住する都市は配布が遅めになっているようです。隣市のように早く接種券を発送できても予約電話殺到でちっとも予約できんじゃん という状態になっても困ります。在住する都市では、整然且つ粛々と、ワクチン接種が進むといいですね。

 

 *補記

  接種券、自身にも昨日(6/11 )到着しました。早速ネットで予約し、一安心。集団接種会場なので、時間指定といえど会場や駐車場が混み合うことが心配ですが早めに行ってゆったりと駐車場の空きを待ちましょう。もし早めに車が収まって時間があるようでしたら、近くの喫茶店で暫しのコーヒータイム。そのくらいの余裕の気持ちで生活を楽しみたいものです。

 しかしもっと若い人々にも、早めに接種が行き渡るように行政は努力してほしい。就労中の時間でも接種を受けられるような・・職域接種の拡大は大いに賛成です。

 12歳以上の若年者、とりわけ小中学生への接種に反対意見が多いようですが、接種に強制力はない。自由意思で接種を受ける権利なので、反対意見を必要以上に行政にぶつけ、行政を困惑・疲弊させないようにしたいものです。

 

 

 さて、豪州への旅行から丸2年、いまだにこのブログの旅行記を終了に持ち込めないない自分に唖然としてしまいます。昨年夏から手掛けている50年物旧車の整備に手を焼いていること、そして健康保持のための夜更かし自粛の影響も大きいのですが、自身の天性の人間性である”guzu“という所業が理由であることも否めません。

 しかしケアンズ-ウルル(エアーズロック)-メルボルン-アデレード-再びメルボルンという行程を考えれば、順調に話を進めて「再びメルボルン」のパッフィングビリー鉄道訪問までは上稿済みです。残すはメルボルン市内のトラムについてのみ、あと一息のところまではきていたのですねえ ということで、いよいよこの稿、豪州旅行編の最終稿の記述を始めましょう。

 

 

 およそ40年近く前にも一度訪れたことのあるメルボルン市内、今回の再訪でよくわかったことがあります。40年間で自身の住む日本の地方都市が変貌を遂げたのと同じように、いやそれ以上にメルボルン市内も大きな変貌を遂げていました。はっきり言って何もかもがリニューアルされていると言って過言ではなく、確かに当時の記憶もかなり怪しくはなっていますが、はっきりわかった再訪地点は市内の中央部を流れるヤラ川にかかる橋と、その袂にあるメルボルン大学の漕艇部のクラブハウスの存在のみ。やはり実際に当時、足で歩いたところは検証がしやすいようです。ただ教会や老舗ホテルなど古めかしい建築物も至る所に残されており、40年前の自身にはクラシックな建築物に興味がなかったのだということもよくわかりました。

 

 

 基本的には近代的な低床連接車が市内を縦横にきびきびと走り回るという状況のメルボルン市のトラムですが、40年近く前にはクリーム色と浅緑色に塗り分けられた味わい深い半鋼製の大型ポール集電車ばかりがのどかに少ない乗客を乗せている、といった感じの雰囲気でした。その電車も、少数ながらまだ生き残っていました。さすがにポール集電からボウ(ワイゲル)状シングルアームパンタに代わっていましたが。

 

 

 市内中心部の路線は無料乗車ができます。特に中心部の循環線には、この旧型車両が観光アピールを兼ね運行されています。ちょうどTDLで運行されるウェスタンリバー鉄道のように、中心地域の特定路線を繰り返しぐるっと回りますから、どこに行ってしまうかわからない心配がなくて迷子になる不安もないし、なんといっても無料なので地域に不慣れな旅行者の観光には安心のおすすめ路線です。

 

 

 メルボルン中心部の見物には豪州滞在日の最終日を当てました。夕刻まで市内を回り、食事をしてから夜遅くの便に乗るために空港に向かう計画でしたが、当日は午前中から雨模様の、しかもかなり冷たい風の吹く天気になってしまい、最終日をゆったりと楽しく満喫というわけにはいきませんでした。

 

 

 市電の車両基地訪問とか、郊外に行く電車の試乗利用などもその気になれず、ただ市内で時間を潰すのに自身は12時間もかけられません。無料の市電を利用して繁華街に出向きお土産品を追加購入もしましたし、ドイツ人街とか中国人街、ギリシャ人街など、異人街もいろいろあって訪ね歩けばキリはない国際色の豊かな面白い街ではあるのですが、さすがに午後には歩き疲れてしまいました。

 

 

 

 ヤラ川に掛かる橋梁( プリンセスブリッジ1888年建設、幅30m、長さ120mのアーチ橋 で、シティとサウスバンクを繋いでいます。 )は見物しました。

 

 

 また、その袂のフリンダーズストリート駅近くで見つけた模型屋さんを見物しています。鉄道模型コーナーがあって、主にはTORIXやKATOのNゲージ製品を扱っていますが少量のLOCOやATOLAS、HORNBY、BACHMANなどのHO製品に交じりおそらくは地元メーカーの手作り品と思いますがメルボルン郊外のPAFFINGBILLYのHOeモデルの展示もあり目を楽しませていただきました。街中のお土産店では、市電900系と思しきOゲージサイズのティンプレート系(ブリキ製)モデルが目につきました。

 

 

 還暦をだいぶ過ぎた自身とその妻がメルボルンの街を何時間も雨中に歩き回って時間を潰そうというのは、実はかなり無謀な計画だったと気が付き、結局空港に向け早め出発することになってしまいました。

 市内見物の際に身軽になるために、荷物を宿泊していたホテルに預けていましたのでそれを回収してから駅(サザンクロス駅/ここから空港行きのシャトルバスが出る)に向かうのですが、ホテル近くの電停から駅まで市電が無料で利用できるのは雨の日だっただけにやはりありがたい。無料の環状線35ルート、お世話になりました。

 

 

004 020 018 983号 006

Web メルボルン市電W形電車 - Wikipedia

メルボルン市電の解説 (ウィキ)

 

 

 実際、豪州に一生に2回訪問できるとは思っていませんでした。メルボルン在住の従妹のSちゃんご夫婦にはメチャクチャお世話になったし、あらゆるところで英語の不得手な自身をサポートし、旅の続行を手助けいただいた幾多の豪州人、そして仕事はリタイアしても老後のことを考えると不安で、充当できる資金が不十分なためにコインランドリーを探しながら先にネットで予約した安宿に泊まり、スーパーやコンビニで簡単な食材を買い込んで食事にしたりするなど、貧乏旅行によく耐えていただき、鉄分の取材にもよく付き合ってくれた妻に大感謝です。

 

 

 一昨年(2019年)は豪州の旅行に加え、泰王国へも足を延ばしました。仕事をリタイアしたので急に気分が楽になったようです。今度は家内を伴わず、職場で長い付き合いとなったS先輩に泰王国の様子を教えていただきながら旧日本国鉄のC56機に対面するというテーマを持っての旅行を企てました。

 この旅行の内容は、当ブログで次回掲載分からご紹介します。ただ、気まぐれなのでいつ掲載できるかはわからないなあ。恐れ入りますが、お気長にお待ちいただきますようお願いします。

 

 

 

TN360/VAMOSHONNDA(バモスホンダ) 追記

 昭和48(1973)年ホンダ技研製、製造後50年になろうとする旧規格軽自動車です。(軽貨物車=軽トラック)

 25年余りの車検切れのままでの放置状態を脱し、昨年4月、継続車検(2年)を通過してひとまず公道走行が可能になったのですが、実はその後も燃料系・制動系・電気系などにトラブル続出でなかなか気が抜けません。調子よく自宅に帰着しても翌日には電気系が落ちていたりします。配線の脆弱部分を察し、一つ一つテスターを当てて確認する作業をしてみれば、もしかすると不具合個所が分かり、効果的な対応策を取って本当に復活できるかも。・・・・新品部品は大半のものが品切となっているため、「まさに修理」あるいは他車用の流用、ということになります。  instagram : lundi2003n ♯TN360

 

 

 コロナ禍という未知の状況の出現から1年を超えました。数ヶ月もたてば沈静化するだろうと高を括っていましたが世間は沈滞するし感染者・犠牲者も多数で、航空会社や旅行会社、飲食関連事業などを始めあらゆる産業への打撃には計り知れないものがあります。観光というレベルでの国際間の行き来は皆無に等しく、国内での移動もなるべく自粛という状況では欲求不満になる人だって出てしまいますね。都会に住む人たちは、時に気分転換のために郊外・地方に行ってひと時を過ごさないとやりきれないでしょう。

 一昨年の豪州・泰王国への旅行は、ぎりぎりセーフのうちに遂行ができて本当にラッキーでした。ただブログをまとめる手がひどく遅くなっていて、たかが半月の旅行記を書き上げるのに2年近くかかってしまっています。健康上の問題で夜更かしを止められていることもありますがいくら何でも遅すぎますね。

 さて、2019.6.4-20の豪州旅行も終盤に近づいてきます。

 

 メルボルンからアデレードへは週2便のオーバーランド号を利用、約800km余の鉄路移動に11時間(定刻なら10時間)をかけましたが、帰路メルボルンへはLCC路線の空路を利用します。所要約1時間半弱、費用も7,600円程度で1日に何便もある、これを利用しない手はありません。午前中はアデレード市内中心部を歩いて見物、午後2時35分発のフライトを利用したあとメルボルン空港からリムジンバス(約20㌦)に乗車、駅近くに予約したホテル着は17時ころだったでしょうか。

 

 

 翌6/18は従妹のSちゃん(メルボルン在住、ご主人I氏は豪人)のお世話になり、メルボルン郊外タンデノン丘陵を案内していただきました。

  香りのよい樹木の繁る閑静な高原地域には豪州開拓時代に活躍したナローラインが観光用に保存されており、多くのボランティアさんの手により昔と同じように蒸機のけん引する列車が運行されています。

 

 

 自身からのたっての要望で、シャーブルック森林を走る蒸機牽引列車(今回の乗車区間/ベルグレイブ-レイクサイド)に乗車できるようなお手配、さらにご主人の好意に甘えて撮影ポイントとして有名な全長85.3m、高さ12.8mのティンバートレッスル(木製橋/モンバルククリークトレッスルブリッジ)を渡る乗車列車を待ち構えて撮影していただくという嬉しいサービスもあって感動の1日となりました。

 

 

  少々肌寒い高原に響き渡る汽笛の音、薄く視界を遮る蒸気、そしてちょこちょこと懸命に小さな動輪を結ぶサイドロッド。乗っている隙間風いっぱいの観光客車がぎしぎしと軋む加速感、そして情景を細かく刻むブラスト音。小雨のぱらつく日にもかかわらず思わず興奮する暫くの列車旅でしたが、ただ自身にはインド・ダージリンの観光列車のように排煙中の煤煙も鼻を刺す硫黄臭もなく少々物足りない感も・・・ただ女性連れの場合は煤煙も硫黄臭いのも避けておいた方がよいようです。

 

 

   「パッフィング・ビリー鉄道」はメルボルン近郊にあった1900(明治33)年開業の地域開発鉄道が路線丸ごと保存されているもので、軌間は2f6in.(762mm)のナローゲージです。1954(昭和29)年には農林業支援としての本来の役目を終え、保存会が設立されたのち1962(昭和37)年には観光鉄道として運営が始められています。

 

 

 動態保存されている12両の蒸気機関車のうち6両は、もともとこの路線で使用されていたもの。うち1両は南アフリカ共和国からの移籍ガーラット機、その他6両は他地域からの移入車で、メルボルン近郊のガス会社で運用されていたドゥコ―ビル製機やビクトリア州内の森林軌道で使用された2トラックのクライマックス機を含み、4両の展示車(不動車)には台湾の阿里山鉄道のシェイ機など趣味的にも非常に興味深い機関車が集められています。惜しむらくは、自身の訪問当日に運用されていた2両と側線にあった1両の計3両以外の機関車を見物できなかったことで、中間駅メンジーズクリーク駅に付属する博物館が改修中ということですからこれは致し方ありません。残りの機関車は検修工場を兼ねるこの博物館にっすべて収められているようで残念でした。台湾の阿里山鉄道のシェイもここで展示されているはずでした。

 

 

 長く使われたのであろう古風な木造客車も側線に留置してあるものを垣間見ましたが、こちらはイベントなどでレストランカー(ディナー車・ランチョン車)として使われるようです。

30名ほどの有償従業者に加え、総計600人を超えるボランティアがこの鉄道維持に携わっています。

 いくら人気のある当観光鉄道でも運賃収入だけで運行関係者をすべて有償従業者ということにするわけにはいきません。建造から100年を超して老朽している車両の整備を始め駅舎の維持や路線の管理、といった付帯事業も含めこの鉄道を未来に残す。この大変な事業は、この鉄道を愛する多くの人々によって支えられています。この実情を噛み締めて、1時間ほどの列車旅を楽しんだ次第です。

 

 

パッフィング・ビリー鉄道(ウィキ)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%BC%E9%89%84%E9%81%93

https://www.translatetheweb.com/?from=en&to=ja&ref=SERP&refd=www.bing.com&dl=ja&rr=UC&a=https%3a%2f%2fen.wikipedia.org%2fwiki%2fPuffing_Billy_Railway

Puffing Billy Railway Official Website (現地公式サイト)

https://puffingbilly.com.au/

GO豪メルボルン/ パッフィング・ビリー の稿

https://www.gogomelbourne.com.au/entertain/melfun/1737.html

 

 

 

豊橋市文化祭・豊橋市郷土文芸に 中村イサト入選の件 2020.9.1

 

 当ブログで以前取り上げていた小説集「アクシデント」(平成元年/1989)を書き上げた中村イサト、それから30年経って私家版の詩集「ボギー大佐のトラス橋」を私家版刊行しています。

 10代のころから折々に詩や小説を書いていましたが30代の半ばで挫折、30年近くの文学的空白期間の末に60歳を過ぎてからの訪泰旅行をきっかけに再び詩作をはじめたところ、豊橋市文化祭郷土文芸に応募した作品が平成29(2017)・30(2018)年と2年連続で特選入選となりました。それを記念しての私家版刊行であったといいます。さらに令和元(2019)年にも特選入選となりましたが、続く令和2(2020)年には特選入選は叶わずも次順の秀逸入選を果たしています。

 

 小説集「アクシデント」も詩集「ボギー大佐のトラス橋」も私家版刊行で、商業的採算の取れるような多数冊を売り上げたわけでもありませんが、装丁や編集を自身で手掛けて版下を作り、楽しみながら自身の作品集を刊行するスタイルを取っている様子に興味を惹かれます。

 

・多米トンネル脇の林道からの風景 (拙ブログ)

https://ameblo.jp/lundi2003n/entry-12513537034.html

 

・郷土文芸作品集・現代詩 (豊橋市ちいき本棚)

 (平成29年次~令和2年次)

 豊橋市HPより ちいき本棚→文化・歴史→郷土文芸作品集→各年分 へとお進みください

     

 

 健康上の問題で夜更かしを止められてしまい、一人きりでキーボードを叩いたりあれやこれやと止めどなく思索をする時間が大幅に減ってしまう事から月2回のブログ上稿を諦めて1年半。離職もして時間たっぷりなはずなのに自身の日々の思いや経験を書き綴っていくことが本当に億劫な自分自身になってしまいました。それでもせめて月に1回くらいのブログ上稿程度は、と思っていてもなんやかんやと興味の向くままネットサーフィンをしたり母親の介護に勤しむ家内に代って家事の分担を引き受け、紙製16番車両の模型製作に苦戦しながら片や25年も納屋に放置していた旧車の手入れを始めたりと、全然退屈はしていませんがね。やはり記述をまとめるには一人だけの妄想に浸りながら資料を探し検修を行える夜間の方が気分の集中力を結集するには条件が良いようです。

 

      

  

 コロナ禍で海外に出にくい状況になって半年が経過、次にネタを拾える海外旅行は現状ではとても計画を立てられない状況となってしまいました。しかしまだブログに書けてないネタも残っています。コロナ禍と夜更かし禁止というような理由を申し述べなくてもおよそ1年以上も前の豪州旅行のネタを、それでもおいしく握らなくてはなりません。

 

   

 

   

 

     

 

 さてアドレード駅前からトラム利用で市内を南下、さらに西南の方角に海岸まで到達すると昔からのアデレードの保養地グレネレグに到達します。切符は午前中に訪ねたポートアデレードに向かう郊外列車と共通の1日乗り放題券(10.45UD/邦貨830円)を利用、1回乗車で約5UD/邦貨420円程度なので当日中に2か所を往復すれば完全にお得な切符といえます。約30分ほどのトラム路線利用で、終点停留所から海岸まではわずか数百メートル、さらに海岸から海に突き出る延長数百mの観光桟橋があり観光客が散歩したり魚釣りをする人もいたりでのんびりとした雰囲気です。

 

        

 

   

  

 リゾートホテルっぽい建物や飲食店などが林立して人通りもあってまずまずの人出だとは思いますが、ただ、冬には結構強い風が吹いたりもするようで閑散とした街になってしまうときも多いのだそうです。

 

      

 

  

 

 見かけたトラム用の車両は100型と200型、軌間は1435㎜、給電圧は600Vです。実際に当日乗車したのは往復とも200型でした、ALSTOM2007年の銘板が車内に取り付けられておりましたが100型はボンバルディア製とのことです。

100型は3連節、200型は5連節構造で、カーブでは例にもれず芋虫のようにぞろぞろっと屈曲して曲がります。

 

   

 

 かつての郵便局の建物がレストランに進化しています。羊毛の輸出が華やかで景気が良かったころの名残なのでしょう。探せばこんなケースをいくつでも発見できそうです。

 グレネルグに向かう路線も、かつては現在と違う路線でしかも蒸気機関車の牽引であった時代があったり、1929年の電化開業時の電車がつい最近まで75年を超えて活躍していたりと興味をそそる話題が多いようです。

 

                                                          

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%A0    wiki グレネルグ・トラム( Glenelg tram)

 

https://www.travel.co.jp/guide/article/8815/  グレネルグの紹介サイト(LINEトラベル)

 

 

バモス・ホンダ(初代)の件

 

 

25年の放置を経て整備を依頼、車検取得

 

 実家の納屋内に車検切れのまま15年、そしてさらに自宅の庭に建てた倉庫内に10年。その間に自身は勤務をリタイアに至り、そうなると25年放置したバモスホンダを再整備するには今しかないと考えました。

 昭和47(1972)年製ですから車齢は50年に近づき、最近は路上で同形車を見ることは滅多にありません。暇になってるとは言っても自力で再整備し車検を継続させるだけの技術力があるはずもなく、専門技術者に依頼してもそれなりの費用と時間がかかります。そもそも正常に機能している部品もいつ機能を喪失するかも予想はつかないのです。

 入手不能となった部品も多いはずで、機能しない電装品や腐食した部位などは不具合が露見する都度に修理と代替品探しを重ねていかなくてはなりませんし、およそ信頼できる自動車としての実用性はあまりあてにならない状態ですが、資金が潤沢でない以上、とにかく車検取得までの整備はしてもらってもそのあとは極力は自己努力でそれを少しでも補っていかなくてはなりません。

 ひとまず日々お世話になるホンダ系の販売店の伝手で古い自動車の整備を手掛ける整備士さんを探してもらい、本業の片手間に頑張っていただいて半年以上かけ、部品を探しながら或るいは機能点検をして一通りの整備が終了し、車検合格に漕ぎつけることができました。長期でも建物内での保管だったので、車体構造の腐食が少なかったものの、燃料タンク内に残留していた燃料が煮詰まり状態で腐食による錆と絡まって悲惨な状態だったことを克服することが一番のご苦心だったようです。

 

 

 

 豪州・アデレードを訪ね、国立鉄道博物館を見物していたのは2019年6月16日、ちょうど1年前のことです。あの頃は新型コロナウィルスへの対応などはまだ一切なく、従来通りに普通の海外旅行を楽しめた時期でした。その後、今年2020年の春には渡航の自粛、航空便の減便、帰国者の2週間の外出自粛要請があり、国内では全国で手洗いやマスク着用、3密の排除などの励行が新たなモラルになっているような状況になっています。それでも特に関東での感染者増はなかなか収束が難しいようで、先が見通せません。米国やブラジルを筆頭に全世界を震撼させているこの新型コロナウィルス、中国・武漢のウィルス研究所から漏れた開発中の生物兵器という憶測が、実はやはり真実なのだろうと自身は思っていますが、本当の真実はいかに?

 ガーラット式機関車! 先頭部分は煙室ではなく水槽部分です。

 

 さて、豪州の国立鉄道博物館の話に戻ります。この施設がシドニーやメルボルンにではなくアデレードにあるということがあれ? という感じですが、すでに羊毛の集荷輸出港として役目を終えたアデレードの港湾地域の、かつて鉄道が基幹交通であった時代の広大な名残を利用して、産業遺産としての旧車両を幅広く収集・保存する施設となっているようです。(以前の貨物ヤード敷地を利用しています。)

 

 ダッジのレールカー (インスペクションカーとも呼ばれます)

 

 英国内での産業革命の一翼として発展を遂げた鉄道輸送技術は19世紀半ばにはインドや豪州にも伝えられ、英国海外領土の開発を支えました。言い方を変えれば植民地経営を支え、英国が富むために植民地化した地域からおびただしい搾取をした、ということになります。英国に限らず当時の欧米諸国はどこも競って海外領土をアフリカやアジア、大洋州そして南北アメリカに求め、現地人と1600絶な闘争の結果として支配下に置き、宗主国の地位を築く政策をとりました。英国は鉄道技術の発祥地で、かつ優秀な車両を開発、興盛を極めます。ただ、海外領土や新興国への技術移転も早く、すでに20世紀初頭には豪州国内でも鉄道車両生産が始まり、国内産のものが多勢を占める状になっています。豪州にはそれだけの生産力も国力も育ったのだということですね。

 

  

 

 前日にメルボルンから列車に乗車し時間を掛けアデレードにやってきましたが、その列車「ジ・オーバーランド号」さらに北へ進む「ガン号」に使用された歴代車両やその牽引機関車はもちろん、旅客・貨物両方に鉄道輸送が華やかな時代の車両たちが建屋の内外にぎっしりと展示されています。

 

    

 日本では見られないガーラット型蒸気機関車とか、明治期に輸入されて日本でおなじみのベイヤーピーコック製の機関車、自動車改造レイルカー、ケアンズ近郊に発達したさとうきび運搬列車の機関車・・・・豪州の鉄道はかつて州単位に導入された経緯を持っていることから軌間もまちまち、1600mmの広軌から610㎜の特殊狭軌までさまざま・・・正直、半日で見物するには見るものが多すぎて駆け足で回るような館内行程になってしまい、じっくりとは見られず残念でした。午後はアデレード市街に戻った後、トラム利用で海浜保養地グレネレグを訪ねます。

 

 

 

 メルボルンから2日でアデレードを訪ね、その中日はポートアドレードとグレネルグを訪ねようと考えました。もっと日が取れればカンガルー島やビクターハーバーなどにも足を延ばしたかったのですが、キリもありません。あっさりと諦めました。

 

 

 アドレード駅でアドレード・メトロの1日乗車券を買い求めます。郊外に向かう鉄道線・軌道線が乗り放題になるので、面倒がなく割安にもなるのでこの切符を買おうと思ったのですが、自動出札機ばかりが並ぶ駅内のどこで買えるかが一見して分からず、警官に聞き係員のいる出札口を指さしてもらってやっと切符が買えました。10.4AUD(邦貨830)、計画利用距離は計4回約40㎞、均一料金で1回乗車ごとに5AUD(邦貨400)程度の運賃のようなので、面倒のないことも含めて1日券がお得に思えます。ただ、切符が小さくてなくしやすい・・・何とかなくさずに1日乗りましたけど。

 また市内の一定ゾーンの中はバス・近郊列車・トラムが無料という区域があり、切符を買うまでもない乗車利用圏がありました。でもポートアドレードとグレネルグに行くには、無料区間だけでは行き付けないようです。世の中、そう甘くはありません。

 

 

 乗り込んだアウトハーバー行の赤い列車、電車だとばかり思っていましたが走りだしてからわかりました。非電化路線での気動車の運行でした。残念ながら客室内での銘板を発見できず、製造所・製造年などはわかりませんでしたが、軌間は1600㎜のようです。

およそ20分ほどでポートアデレード駅(無人)に到着、地図を見ながら港に向かい20分ほど歩いて岸壁に到着します。

 

 

 この港の最盛時、それはおよそ1世紀前の1900年前後だったといえるでしょう。主に羊毛を輸出する貿易港としての役割がこの街にはあったはずで、すでに本来の港の役割は終えた姿がこの港にはあります。岸壁には、かつて横付けされた船から輸入物資を降ろし、また輸出物資を積みこむための港湾軌道があったはずで、その名残が敷石によって描かれているところを発見、しばし当時の栄華と活況を偲びます。

 

 ポートアデレード駅付近の路線は高架になっており、帰路高架橋を観察しました。リベットの打ち込まれた橋桁や支持柱の装飾が何気に古風で一抹の興味を惹かれますが、土地再開発のために高架化したのなら路線自体に100年前後の歴史があってもそれらが当時の設備であることはないだろうと思いますが実際はどうなのでしょう。レトロ風の建設をわざと行ったか、当時のものもなるべく利用したのかもしれません。貨物輸送はおそらくその仕業を終えていると思います。

 

 

アデレード / アウターハーバー線(非電化線・DC運行)

https://www.translatetheweb.com/?from=en&to=ja&ref=SERP&dl=ja&rr=UC&a=https%3a%2f%2fen.wikipedia.org%2fwiki%2fOuter_Harbor_railway_line

 アデレード駅からポートアデレード駅まで11.7km、灯台やマーケットがあったりやイルカ見物クルーズのできる船が出る港まで徒歩20分程度、博物館まで15分程度。

 

  昨年来、豪州各地の森林火災に多くの家屋や野生動物まで甚大な被害が出ているとの知らせがあり、憂慮しておりました。ただ、深刻な被害が出ていると聞いてもこれといって直接的には何もしてあげることもできませんでしたが。その後、降雨があり(降りすぎたところも多かったとか)火災はほぼ収束しているとのことで、すこし安心していますが、数百人以上の死傷者、200戸近い焼失家屋に加えて何万頭もの野生動物の損害もあったという現実は忘れてはならないと思います。昨年(2019年)6月の2週間ほどの旅行では、ケアンズ・ウルル(エアーズロック)・メルボルン・アデレードの豪州各地を巡りましたが、英語の不得手な私たちにも関わらず、どこでも親切に面倒を見てもらえたありがたい旅行でしたので、豪州の災害禍がどうしても気がかりに思えていたのです。

 そして最近では新型コロナウイルス禍が世界的な憂慮となっています。こちらはすぐ近くの都市に感染者が出たこともあり、まずは自身や近親者が感染の脅威にさらされないように注意するしかありませんが、経済環境が緊縮し自信を含んだ国民の暮らしにどのように影響が出てくるかは未知数です。すでに金融資産などに大幅な損失を抱える人も多いようですし・・・

 この先はひとまず落ち着いて、未来を見据えた生活を心がけたいところです。

 

2019.6.15

 

 フライトなら所要約1時間半弱、費用も7,600 円程度で1 日に何便もあるのに、鉄道利用だと10 時間もかかる上に週2 便のみで費用も一般座席車(先割)9,000 円(上級座席車・先割なら13,000 円)を越してしまいます。というわけで利用客の到って少ない長距離列車オーバーランド号をあえて利用してみることにしました。速度は新幹線のように早くはないものの、豪州南部の非砂漠地帯の豊かな風景を828km10 時間余にわたって楽しむ列車を一度は体験したかったから。

 

 メルボルン(サザンパシフィック駅)を朝0805 発、夕刻1740 アデレード(パークランズ・ターミナル)(時差0.5h ) といった運行時間です。手荷物のある場合はメルボルン駅のチェックインを出発時刻の30 分前までに済ませておく必要があり、併結の手荷物/電源車に積載する受託荷物として預かってくれました。

 

 

 一般座席車(レッドサービス)と上級座席車(プレミアムレッドサービス)のサービスの違いは、概して座席のゆったり度と食事等のサービスに差が付くものですが、費用節約のために当然のごとく一般座席車を先割予約していました。その差額は約4,000 円、でもどちらがトクであったかはキモチで判断されることになるのでしょう。実は「一般座席車の予約」が同行する奥さんの逆鱗に触れてしまったようで、かなり険悪なムードで乗車したのです。10 時間もの間、乗車しているのに日本国内で乗るJR 快速電車のような一般席では惨めすぎる、という意見で確かに、なるほどと。

 

 車号を見て客車に乗り込み指定席を探しましたが、そこでやっと奥さんの表情の険しさが取れました。JR 新幹線のグリーン席ほどではないにしても、LCC ではない飛行機のエコノミー席以上、というような水準のシートに着席できました。良かった。でも、空いている一般座席車より上級座席車の方が混んでいるようで、時間にも費用的にも余裕のある列車利用の乗客は、やはり上級座席車の利用に傾く傾向があるようです。ちなみに、一般席車3 両、上等席車1 両、ビッフェ車、手荷物/電源車の6両をディーゼル機関車1 両で牽引します。

 

 一応の観察はしましたが製造銘板の類はどの車両でも発見できず、製造年や製造所はわかりませんでした。豪州では英国の技術を移転して19 世紀末ころより機関車を含んで大半の鉄道車両を国産化しています。中国製とか日本製のものは少ないようで、おそらくは自国メーカー製だと思います。

 

 メルボルン/サザンパシフィック駅で買い込んだサンドイッチやスナック菓子などをぱくつきながら旅窓を楽しみます。昨夜の食べ残しのおかずやら余らせたミルクやバナナも広げて朝昼よくわからない食事をとります。そのうち車内販売も回ってきます。コーヒーや紅茶、スナックなど。併結されているビッフェ車にも行ってみました。またサンドイッチを購入・・・やっぱりこれが一番手軽でお安いから。

 搭乗した客車の窓は大きく、(席とのマッチングが良ければ)眺めはいいですよ。時々停車する駅と駅との間は見渡す限り、草原(牧場)と森がずーっと続く風景です。

 途中で下車する乗客もぽちぽちいます。国内航空路線のない都市間では、路線があれば列車利用がやはり便利なのでしょう。

  オンタイムで10 時間余かかる所要時間ですが、この日の運行では何故かアデレード到着直前で停止してしまい、動き出すまでにおよそ1 時間を要しました。シグナルストップだと車内放送で説明があったような気がしますが、詳しい理由までは自身の貧しいヒアリング能力では聞き取れません。が、さらに1 時間の延着となってしまいました。

 

夕刻1740 の到着は1840 頃となってしまい、緯度の高い地域での冬になりかけの時期の夕暮れは早いです。すっかり暗くなってしまったアデレード駅(アデレード・パークランズ・ターミナル)ホームで荷物車から出してもらった預託荷物を受け取り、駅出口で待つタクシーを迷わず利用して予約してあるホテルに向かうことにしました。近距離なので14AUD 1,200 円程度で済みましたが、ホテルまで配送してくれるバス(1 4AUD2 名で700 円程度)があっても早くチェックインしてしまいたかったのです。

 

 オーバーランド(The Over Land)(メルボルン-アデレード間を運行)・利用と予約ご案内

https://australiatour.jp/products/detail1174.html

 

 

 

 

ペシャワール会の中村哲医師、アフガニスタンに死す

 

2019.12.4   

  訪れていたアフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバード近郊で自動車による移動中、武装グループの襲撃を受け同行者5人とともに死亡、73歳。米軍から距離を置いた人道支援として医療活動にとどまらない活動を展開、地域の人々に溶け込みながら干ばつ・貧困対策事業をリードしていました。掘りぬきを手掛けた井戸はおよそ1600 本、整備した用水路による灌漑が戦乱と貧困で荒廃した大地を豊かな農地に変えていく過程半ばでの中村医師の客死を悼みます。

 73 歳になってもなお日本とアフガニスタン・パキスタンを煩雑に行き来してこの地域の人々の生活を向上させようとする生活を続けていた中村医師、大国の都合や政治の都合による長年のこの地域の疲弊を癒してやらなきゃという使命を全霊的に感じていたのでしょう。中村医師の気持ちに悔いはなかったのだろうとも推測しながら、このような行動を続けてきた中村医師が亡くなられたことはあらゆる面で大きな損失だろうと感じる次第です。

 

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イメージ 2 オーストラリア/クイーンズランド州、といえば大陸北東部の広大な面積を占める地域です。観光の拠点として主に州都ブリスベンとケアンズが日本に紹介されており、時期にもよるでしょうが日本人観光客もまずまず多いところです。






イメージ 3 ケアンズ出発の観光ツアーには、グリーン島を始めとするグレートバリアリーフを楽しむ海洋系と、キュランダなどの熱帯雨林を楽しむ高原系、また各種さわりをチョイスして短期間で回る弾丸総合系があり、滞在期間に応じて多様なプログラムが用意されています。要するに、どんな人がどんな期間で訪ねてもいつでもそれなりに楽しめる観光方法があるということになりますし、語学研修などで滞在する学生も多く、もともとの移民国家としての表情に加え、地方の小都市でもかなりインターナショナルな都市、という印象が強く感じられます。

イメージ 4 キュランダ高原にはスカイレール(ゴンドラリフト、延長7.5km)とバス、列車(延長33km)を往復に組み合わせるコースが一般的で、今回109A$(約9,000/ホテルピックアップ、ケアンズ駅着)のセット券を購入しました。
 鉄ヲタを自称する自身としては往復を列車利用にしたかったところですが、同行する家内の意見を汲んで往路をスカイレール(ゴンドラリフト)利用としましたが、(自身の気持ちを押し通し、結果、身内を敵に回してロクなことは一切ありません。)それはそれで途中駅での一時下車により熱帯雨林の林間散策等で楽しめます。


イメージ 5 復路に乗車するキュランダ高原鉄道、キュランダ駅周辺には往年の鉄の匂いを感じ取ります。連結緩衝器(バッフアー)を利用したモニュメント、路面に埋め込まれたスパイク、オープンカフェの外柵に使われる古典レール・・・往年には蒸気機関車が使われていた時代があったはずで、復路に乗車した客車の内部にはそれらしい白黒写真の掲示もあり、当時の様子を若干ながら偲ぶことができます。
 
イメージ 6 ただ、往年のキュランダ鉄道のことは多くの資料に遭遇できていません。アサ―トン高原の錫鉱山関連の物資輸送目的により1891(明治24)年開業し、さらに観光列車の運行は1936(昭和11)年から、ということのようです。それなりの輸送量を有する鉄道路線として、まずまずの大型蒸機が使われていたようで、再整備により最近になっての復刻運転も行われているように見られます。この機関車は、下記「クイーンズランド州の機関車」のサイトに掲載されていますが、詳細は未調査です。


クイーンズランド州の機関車
鉄道関係団体リンク








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 ディーゼル機のけん引する古風な客車には大半の車両にトラス棒があり、外板には木造車を彷彿とさせる縦筋模様がありますが、内装は木張でも外板は後年に改装された金属製とみられます。
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イメージ 2 以前にさとうきび運搬列車に使われていたといわれる、軌間2′の機関車(蒸気機関・ディーゼル)がポートダグラスではボランティアにより「バリーフリー鉄道」と称し、観光列車として運行されています。







イメージ 3 WEBでケアンズ発の現地ツアーを調べているときに、偶然この鉄道の往復利用とランチがセットになって売り出されていることを知って早速予約(145$)、豪州訪問1日め、早朝のケアンズに到着したあとレンタカー利用で70㎞ほどを走り、ポートダグラス1115発の列車乗車に間に合わせています。




イメージ 4 スチーム機は基本的に日曜日に運転、とのことでした。訪ねたのは木曜日で、もしや蒸機の牽引、という期待はやはり軽く打ち破られて、やっぱりのディーゼル機牽引の列車でした。日曜日にここを訪ねられない旅行日程上の制約があり、仕方のないことです。しかし5年ほど前のダージリン(インド)での体験に続く軌間2′鉄道の乗車に、大いに心が躍ったことは言うまでもありません。


イメージ 5 ディーゼル機牽引のオープン客車の同乗者に日本人はなく、勇気を出して同年代くらいの女性グループに話しかけると「メルボルンから来た」とのこと。自身も「この先メルボルンに寄る予定」というと、「すっかり寒くなっているからね」との情報をいただき、秋が終わりに近づき冬になりつつあるメルボルンの様子も伺い知ることができました。



イメージ 6 転車台上のレールを観察すると、レールを止める犬釘に目が行きます。古いタイプによくある、犬頭型のスパイク、古い英国系の鉄道設備では時々お目にかかります。どうして犬頭型?ぼーっとして生きていたら、智子ちゃんに叱られそうですね。ココロは、打ち込んだスパイクを抜くときにこの耳に見える部分バールに引っ掛けてると、処理をし易い、ということのようですよ。レールもかなりの年代物のような気がしますが、ざっと目視するだけではそのいわれを確認できるような刻印等は探し出すことができませんでした。

イメージ 7 ポートダグラスで現在運行されている(ディーゼル/蒸機)機関車は,同クイーンズランド州バンダ・バーグで使用されていたもののようですが、自身ではネット上での詳細確認が未だできないでいます。

下記・「クイーンズランド州の砂糖きび運搬用機関車」のサイトに、3両のバリーフーリー鉄道の機関車の出自はもちろん、前述の展示機関車についても説明文が掲載されていることに気が付きましたが、説明文の和訳に至っていいません。
豪州でも記録はきちんと管理・公開されているのですね。



 バリーフーリー蒸気鉄道(クイーンズランド州ポートダグラス) 案内・予約サイト
片道12ドル・往復20ドル、食事付きセットツアーあり、13便、片道所要約20分。
ポートダグラスはケアンズ市から北方約70km レンタカーで1時間半ほど。







クイーンズランド州の砂糖きび運搬用機関車


鉄道関係団体リンク





イメージ 10註・バンダ・バーグ 現在でも砂糖産業の街。
「夕日に映える鉄道」(機芸出版社/刊 昭和46年英語版・平成2年日本語版 Charles Small 著・高田隆雄 訳)に、オーストラリアのさとうきび運搬鉄道の紹介記事として当時のバンダ・バーグなどの詳細かつ興味深いレポートが載っています。 









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イメージ 2 香港で乗り継いだキャセイ便は定刻運行、予定通り早朝0640のケアンズに到着してオーストラリアに入国できましたが、現地はまさかの肌寒い小雨、見込みと少し違うなーと思いながらタクシーを頼んで市街に向かいます。その後レンタカーを借りてポートダグラスを訪ねるスケジュールを立てていましたので、レンタカー営業所まで15分ほどタクシーのドライバーによる道路の走り方や市街の様子などを観察しました。日本と同じ車両左側通行、大きな違和感は感じませんが大きな交差点はロータリー式になっているものがほとんどで、この走り抜け方を理解し、全体的に早めに流れるスピードに慣れればOKだと感じました。ただ、なにが起こるかはわからない外国での運転だからと思い、保険は必要以上にかけてしまっていたようです。

イメージ 3  初めて運転するHYUNDAISUV車を飛ばし1030分頃にはポートダグラスに到着、さっそく緑地内にある展示機関車を発見しましたがひとまずの目的地のバリ-フリー鉄道駅での受付時間が迫っていたため、展示機関車の見物は後に回しました。

 バリ-フリー鉄道の往復乗車体験と昼食を済ますとすでに午後2時、午後5時にはケアンズ市内のホテルをチェックインして更にレンタカーを返却しなくてはなりません。大急ぎで展示機関車の取材をすることになりました。

イメージ 4 保存展示機関車の周りを網で囲ってあることは非常に無粋だし撮影の邪魔にもなりますが、損壊や落書きなどに備える保管上の安全を考えるとやむをえない措置のようです。
 外側フレームの小さいC型タンク機が簡易的客車・小型無蓋車を従え、細いレールの上に据えられ、僅かながら説明看板が無蓋車側板に設けられていました。


イメージ 5  レールの刻印を探しましたが、金網柵の外からの観察だけでは発見できるものはありませんでした。細身の、かなり腐食が進んだ状態のレールのようにみえますので、刻印の探査ができれば面白い発見があったのかもしれません。

  説明看板には、1900年にモスマンとポートダグラス間にクイーンズランド州政府により鉄道が敷かれ、1958年まで運行されたこと、「フォー・ア・バラー号」と呼ばれるこの機関車が英国西ヨークシャー、ジョンファウラ-社のリーズ工場で建造されたこと、また1997年に州と「モスマン中央糖業」により復元されたことなどが記されています。

イメージ 6  ケアンズ付近にある2ft軌道は季節的に運行される収穫したサトウキビの運搬に加え、製糖工場での製品出荷用に設備されたものという認識を持っていましたが、説明を見る限りではポートダグラス近辺に敷かれたものでは、旅客も輸送した一般鉄道の性格を持っていたように思われます。
 調べてみると近辺ではかつては鉱山の存在もあったようで、北海道の各地に存在した植民軌道(簡易軌道)のように地域の総合開発軌道的な性格もあったのかもしれませんね。





オーストラリアの2フィートゲージ鉄道