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FC2に移転しました(線路巡礼)

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1993年8月
八高線を経由して、
高崎線深谷駅にやって来ました

目的は
深谷駅手前の車窓から見える「鉄橋」
あれは線路跡に違いないのですが…

レイルマガジンの人気(だった)コーナー
「トワイライトゾーン」
1990年の初回記事(平塚駅の油槽線)を読んで、
私以外にも線路に興味がある人がいるのかと感動したものです

その
1991年の記事で
深谷駅の煉瓦工場線(廃線)の特集がありました
廃線跡の緑道工事が進められているのですが
途中の「鉄橋」が価値のあるもので
それを保存するかどうかでも揉めているので
調査してみました、という内容

その記事が気になって
2年遅れで深谷駅に来ました

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高崎線から見える廃線鉄橋を利用した緑道

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廃線跡は
もうすっかり緑道になっていました

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川に架かるこの「橋」は新しいものですが
その向こう側に、何か怪しいモノが見えます

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専用線の鉄橋が
横に移転して綺麗な煉瓦と共に「保存?」されています

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せっかく保存してくれるなら
どうして価値のある線路(鉄橋)はその場所にそっとしておいて
緑道の方をその脇に作ってくれないのでしょう

線路は
その場所にあってこそ歴史的価値があるのに
ヤラセじゃ意味がない
ノーナシお役所仕事の典型ですね


暑い日でした
でも意地で煉瓦工場まで歩いてしまいました
途中
線路の痕跡なし(少しはレールが残っていれば面白いのに)

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大きな煉瓦工場
レトロな雰囲気ぷんぷん
どうでもいいことですが、
東京駅駅舎にはこの工場で作った煉瓦が使われているのだとか

ここの製品を深谷駅まで運ぶ専用線跡の旅、おしまい
片道4キロ以上もあるのです
かなり長い専用線でした
これをまた歩いて帰ります。疲れますね

線路記事を知ってから2年後の巡礼です
もっと早く来れば
あの鉄橋の線路は元の場所にあったのに(後悔)

ちなみに
「トワイライトゾーン」の連載はまだ細々と続いているようですが
もう往時の面影は全くありません
それだけ面白い線路も消えてしまったということ?
1993年8月
八高線に乗って高麗川駅のセメント専用線を巡礼

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八王子駅
セメント貨物が現役
いまではあまり使われない北側の側線が活躍しています

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高麗川駅
駅近くの踏切から構内を見たところ

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同じ踏切から
八高線(左)と川越線(右)の分岐を見ます(川越線はもう電化されていたんですね)

その間にある線路が
日本セメント工場専用線
八高線や川越線に見劣りしない立派な線路です

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ちゃんと表札付き!

線路に沿って歩くと

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すぐにセメント工場の入り口が見えて来ます

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この煙突群は列車からも見ることが出来ます
でも歩けるのはここまで

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工場内の配線
なかなか見事な工場線です
スイッチャーが入換するのを見たかったですね

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後ろ髪を引かれる思いで
高麗川駅に戻って来ました
DDさんがたくさん待機中

工場から駅までは
スイッチャーの担当だったのか?
DDさんだったのか?

ちなみに
次の八高線の待ち時間の38分間だけで
工場まで往復したのです
きっと汗かいたでしょうね

八高線でさらに北へ

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竹沢駅で
DDさん重連のセメント列車と交換
当時は気軽にこんな素晴らしいものを見ることが出来ました

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寄居駅
ここで秩父鉄道から八高線へ
セメント貨物のやりとりがあったのでしょうね
これも見ておけば良かった

いろいろ見残して
列車は高崎駅へ
この日の巡礼は深谷駅に続きます


八高線のセメント貨物と専用線
近場なんだから、もっともっと見に行けば良かったです(激しく後悔)


ちなみに
高麗川のセメント工場の線路は
そのまま反対側にものびて
東武越生線の西大家駅につながっていたのも有名な話

セメント工場専用線を介して
国鉄(JR)と東武との線路がつながっていたのです!
美しい線路秘話(?)です
語り継いでください
1993年7月
18切符を使って
熊谷駅始発の臨時快速でグルリ

熊谷駅8:54→軽井沢駅10:40(快)しらかば号

軽井沢駅11:28→直江津駅14:51

直江津駅~潟町駅(バス)→米山駅

米山駅16:18→熊谷駅20:26(快)青海川4号

こんな素晴らしい日帰り線路巡礼が
当時は簡単に楽しめました

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何故か熊谷駅始発の(快)しらかば号
上野駅始発にしてくれないのは
埼玉県人向けの臨時列車だから?

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碓氷峠のお約束
機関車を連結

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窓が開くのは
快速列車の特権です♪


直江津駅で
乗り継ぎ時間があるので
ちょっと路線バスも乗ってみました
当時はこんな遊び心があったみたい


米山駅から(快)青海川4号に乗車

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日本海と廃線跡を見たくて
この駅を選んだようです

「くじらなみ」号とも呼ばれたことがある臨時快速
長岡駅で折り返して上越線直通なのがウリです
残念ながら
この列車も熊谷駅止まり
海のない埼玉県民向けのようです
せめて大宮駅発着なら良かったのにね

この列車は
両毛線発の設定もありました
(これは群馬県民向け?)
さらに手元の時刻表で調べると
横川駅始発の設定もありました
信越本線→上越線→信越本線と走ったことになります
素晴らしい!

これらは乗るのがなかなか難しくて
乗らないうちになくなってしまいました
(いずれも2回進行方向が変わったはずです。乗りたかったなぁ)

熊谷駅発も
いつの間にか設定がなくなってしまいました

言うまでもなく
しらかば号(軽井沢行き)もなくなってしまいました

すべて田舎新幹線のおかげです

あれがさらに延長されます
線路の悲劇がまた繰り返されます
1993年7月
野上電鉄を巡礼した後
その日の宿は和歌山でした

まだ時間があるので
和歌山駅付近の謎の線路も巡礼

昔々、和歌山駅付近の路線は複雑で
立体交差みたいな線路の十字路がありました
子供の頃、
時刻表で複雑な路線図を見た記憶があるのですが
和歌山線の支線(田井ノ瀬駅~紀和駅)は
1974年にひっそりと廃止されたそうです

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(国鉄貨物事務用鉄道線路図1971年より)
この線路図は路線図は貨物用なので
国鉄和歌山線支線の田井ノ瀬駅から紀和駅までは
白抜きで表示されてます(この区間は当時も旅客専用路線)

紀伊中ノ島駅に来ました

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上を走るのは阪和線
その下が和歌山線支線(だったところ)
ホームがそのまま残っているのがオシャレ

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駅舎は
和歌山線ホーム方です
ちょっと駅舎が立派なので撮影

紀伊中ノ島駅から
和歌山線支線廃線跡にそって
隣の紀和駅まで歩いてみました

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こちらは紀勢本線と和歌山線支線の分岐駅でした
ちょっとしたヤードがあったみたいです

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この駅も駅舎が立派
私が駅舎の写真をこんなに撮るのは珍しい

そういえば
和歌山市駅もかなり変わった駅でした
国鉄社線分界点♪

翌日
南海の支線を巡礼しながら帰ったのですが
その話はいずれまとめて
すっかり忘れていましたが
昨日
江差線の営業終了だったそうです

あわてて
夜のTVニュース収集に走りましたが
どこの局も全く相手にせず
(夕方のニュースにはなったのかな?)

たぶん
地方遊園地の観覧車廃止くらいのインパクトなんでしょうね
きっと
(いつもマスコミはバカ騒ぎするのに?)

1980年に松前線と一緒に巡礼しています
http://blogs.yahoo.co.jp/lunchapi/59497703.html

その後
2002年にも江差線に乗りました
(函館で戸井線の工事跡を見学した帰り)
今度はちゃんと江差の町も観光
「開陽丸」も見ましたよ

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でも
江差駅の線路は破壊されて
線路一本だけの見るも無残な状態でした

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線路の先は
いつの間にか新興住宅地?シラケます

こうなってしまうと
別に廃止になっても
ふ~ん

廃止の引き金はアレらしいです
不幸の新幹線の犠牲者(線路)がまたひとつ


恒例の廃止商法で、JR北海道も少しは潤ったでしょうか
線路の
悲しい最後のご奉公です

松前線が
あの世で待っていますよ。きっと。