1985年9月
青春18切符2日分で伊勢線、名松線、明知線と巡礼して
最後が二俣線(掛川駅-新所原駅)
青春18切符2日分で伊勢線、名松線、明知線と巡礼して
最後が二俣線(掛川駅-新所原駅)
豊橋駅12:44→掛川駅15:15
東海道本経由なら1時間ちょっとだと思いますが
浜名湖の向こう側を迂回するとこうなります
浜名湖の向こう側を迂回するとこうなります
豊橋駅からの直通列車ですから
少し離れたあの小さなホームから出発(このホームの写真がありません)
少し離れたあの小さなホームから出発(このホームの写真がありません)
2両編成の気動車の車内は高校生で満員
浜名湖がよく見えます
平らな路線なのでスピードは意外と速かったらしい(これでも)
浜名湖がよく見えます
平らな路線なのでスピードは意外と速かったらしい(これでも)
遠江二俣駅
沿線随一の主要駅(?)です
線路もたくさん
2面4線のホームが立派過ぎます
終点の掛川駅(こちらが起点駅ですけど)
当時は東海道本線上りホームの片側を使っていました
掛川駅の乗換階段
こういう写真を撮るのは私としては珍しい
今となっては貴重な光景
盲腸線ではないので
明確な線路終端がないのですが
新所原駅の線路をちゃんと見ておかなかったのが心残り
明確な線路終端がないのですが
新所原駅の線路をちゃんと見ておかなかったのが心残り
この路線も
1987年3月の国鉄滅亡と一緒に廃止
第○セクター鉄道になりました
1987年3月の国鉄滅亡と一緒に廃止
第○セクター鉄道になりました
掛川駅では線路はつながったままですが
新所原駅では分断(終端駅らしくなった?)
新所原駅では分断(終端駅らしくなった?)
なんか
とても遠い存在になってしまいました
とても遠い存在になってしまいました
東海道本線豊橋駅までの直通列車はなくなり
新所原駅の豊橋方にあった
上り線に合流するため東海道本線を跨いでいた「線路」も廃止
新所原駅の豊橋方にあった
上り線に合流するため東海道本線を跨いでいた「線路」も廃止
ところが
どうやら私は二俣線の下りは乗っていなかったみたいで
この「線路」を乗っていないようなんです。
上り直通列車しか乗っていない
残念
どうやら私は二俣線の下りは乗っていなかったみたいで
この「線路」を乗っていないようなんです。
上り直通列車しか乗っていない
残念
それでも
この鉄橋はしばらくそのまま残されていましたが
1995年の関西淡路大震災を契機に
危ないからという理由で撤去されてしまいました
この鉄橋はしばらくそのまま残されていましたが
1995年の関西淡路大震災を契機に
危ないからという理由で撤去されてしまいました
撤去の前
1993年7月に関西に向かう車窓から
ようやく撮れた写真がコレ
1993年7月に関西に向かう車窓から
ようやく撮れた写真がコレ
二俣線は
東海道本線の代替路線として建設されたらしいです
だから
こんな仰々しい設備(線路)も必要だったのでしょうか
でも
下り二俣線10本のうち
豊橋まで延長運転していたのは4本だけなんです
下り二俣線10本のうち
豊橋まで延長運転していたのは4本だけなんです
一日4本だけのための線路なんて
なかなか贅沢なモノでしたね
今でも築堤だけは残っていますので
車窓から見えたら、無駄だったなぁと往時を偲んであげて下さい
なかなか贅沢なモノでしたね
今でも築堤だけは残っていますので
車窓から見えたら、無駄だったなぁと往時を偲んであげて下さい