線路巡礼:香月線。
1981年。第2次九州線路巡礼にて。
中間駅。(ちゅうかん駅ではなくて、なかま駅)
筑豊本線折尾駅の次の駅。
ここから分岐していました。
筑豊本線折尾駅の次の駅。
ここから分岐していました。

短い赤字ローカル線。単線。
当時、この近辺にたくさんあった元石炭輸送線路なのですが。
実は、これがタイヘンなシロモノ。
当時の手書きの線路図をチェックして、
大変なことを思い出してしまいした。
大変なことを思い出してしまいした。
話は折尾駅から始まります。
鹿児島本線貨物線は
折尾駅で曲がって筑豊本線に合流します。
この駅の南側で、鹿児島本線貨物線(複線)と筑豊本線(複線)が
合流していますが。
この当時。
なんと折尾駅から中間駅までは、
そのまま複々線だったのです。
(折尾駅の記事を書いた時は、すっかり忘れていました。ナサケナイ)
なんと折尾駅から中間駅までは、
そのまま複々線だったのです。
(折尾駅の記事を書いた時は、すっかり忘れていました。ナサケナイ)
中間駅から先は、
まるで鹿児島本線貨物複線からつながるように、
香月線がのびていました。
(筑豊本線側は、この先はフツーの複線になります)
まるで鹿児島本線貨物複線からつながるように、
香月線がのびていました。
(筑豊本線側は、この先はフツーの複線になります)
つまり、
香月線のために、
折尾駅から中間駅まで貨物専用複線が必要だったわけですね。
これは凄い(笑)。
香月線のために、
折尾駅から中間駅まで貨物専用複線が必要だったわけですね。
これは凄い(笑)。
ということで。
前置きが長くなりましたが。
前置きが長くなりましたが。
香月線です。
その終着駅の香月駅。
その終着駅の香月駅。

すでに貨物取扱いはありませんが。
線路がいい感じに残っていました。
終着駅の手前に
石炭ポットが残っていました。
石炭ポットが残っていました。
そんなに大きくないサイズ。
時間があったので、もちろん見学。
いい光景でしょ?
もし炭田の歴史を残すのなら。
この駅と構内をそのまま残すだけでいいのに。
くだらない博物館なんて笑止。
もし炭田の歴史を残すのなら。
この駅と構内をそのまま残すだけでいいのに。
くだらない博物館なんて笑止。
あの偉大な鹿児島本線貨物複線の真の終端は、
実は香月線の香月駅だったのです。
美しい線路の歴史がまたひとつ発掘されました。
忘れていただけ?(爆)
忘れていただけ?(爆)
「香月」というと、
最近はラーメン屋か焼肉屋しか思いつかなかったのですが(殴)。
最近はラーメン屋か焼肉屋しか思いつかなかったのですが(殴)。