1981年。第2次九州巡礼。
この前年は消え行く急行列車を中心に乗りまくりましたが、
今回は路線中心です。
廃止されてしまう前に、九州の全ての線路を制覇する、という強い意気込み。
この前年は消え行く急行列車を中心に乗りまくりましたが、
今回は路線中心です。
廃止されてしまう前に、九州の全ての線路を制覇する、という強い意気込み。
まずは。
九州で一番、というより
日本で一番複雑な線路を持つエリアから。
九州で一番、というより
日本で一番複雑な線路を持つエリアから。
当時。この路線網を
完全に理解していた人が何人いたでしょうね。
たぶん国鉄職員だって分からなかったと思います(笑)
その線路の複雑さ。
線路コンプレックスというに相応しいですね。
(今ではとっても簡単になってしまいましたけど、泣)
線路コンプレックスというに相応しいですね。
(今ではとっても簡単になってしまいましたけど、泣)
線路巡礼:漆生線・上山田線
8月9日。
こんな風に線路巡礼しました。
このルートから、特に漆生線の存在があらためて見えてきます。
こんな風に線路巡礼しました。
このルートから、特に漆生線の存在があらためて見えてきます。
原田駅5:16→新飯塚駅6:26
新飯塚駅6:49→豊前川崎駅7:44(後藤寺線・漆生線・上山田線)
豊前川崎駅→添田駅8:55→香春駅9:14→後藤寺駅→新飯塚駅
新飯塚駅10:42→下山田駅11:25
新飯塚駅6:49→豊前川崎駅7:44(後藤寺線・漆生線・上山田線)
豊前川崎駅→添田駅8:55→香春駅9:14→後藤寺駅→新飯塚駅
新飯塚駅10:42→下山田駅11:25
線路巡礼:漆生線。
漆生線というのは、
後藤寺線と上山田線の間に挟まれた目立たない短い路線ですが、
連絡線として重要な役割を負っていました。
後藤寺線と上山田線の間に挟まれた目立たない短い路線ですが、
連絡線として重要な役割を負っていました。

ちなみに、路線内だけの列車設定はなく、
全ての列車は後藤寺線か、上山田線に必ず直通していたのです。
でも終着駅がないから、
線路の記憶が定かではありません(泣)。
2009年に後藤寺線に乗って下鴨生駅を通った時。
おはずかしながら、漆生線の線路跡のことをすっかり忘れていました。
それくらい記憶に薄い(泣)
おはずかしながら、漆生線の線路跡のことをすっかり忘れていました。
それくらい記憶に薄い(泣)
線路巡礼:上山田線。
こちらも終着駅がないから、
線路の記憶が薄いですぅ。
線路の記憶が薄いですぅ。

入場券で並べてみると面白いかな?
この二つの路線の線路を熱く思い出させてくれるのが、
両線が出会う下山田駅です。

当時、すでに下山田駅構内はレールをはがしてマンションが建っていました。
今ではどこでもある悲しい光景ですけど、廃止目前の路線の目の前です。
都会みたいで少し驚きました・・・。
ここから飯塚方面に線路沿いに歩いた場所に
両線が分岐する信号所がありました。
両線が分岐する信号所がありました。

嘉穂信号所
ここの存在を覚えておいでの方は、かなりの通とお見受けします。
右が漆生線、左が上山田線。
この日はとてつもなく暑い日でした。

信号所には係りのおじさんがいて、親切にも珍客を中にいれてくれました。
昔はノンビリしていましたねぇ。

信号所には係りのおじさんがいて、親切にも珍客を中にいれてくれました。
昔はノンビリしていましたねぇ。
灼熱の中、この信号所まで歩いて巡礼したおかげで、
漆生線と上山田線の事を覚えていられます(笑)
漆生線と上山田線の事を覚えていられます(笑)