
本日は、大好きな歴史の話。
関西人と歴史について。
関西人と歴史について。
現在進行中の、旧東海道お散歩の旅。
いよいよ山科分岐から大坂に向かって歩き出しました。
いよいよ山科分岐から大坂に向かって歩き出しました。
でも
予想はしていたのですが、どこにも旧東海道と表示してくれるものはアリマセン(泣)
予想はしていたのですが、どこにも旧東海道と表示してくれるものはアリマセン(泣)
どうやら、世間一般では
京街道
大坂街道
などと呼ばれているようです。
京街道
大坂街道
などと呼ばれているようです。
東海道が整備された江戸時代初期の頃から、
東海道が江戸~大坂と決められても
関西の人は江戸に反抗して、京都~大坂を東海道とは呼ばず、
その区間を、
敢えて
京街道、または大坂街道と呼んでいたそうです。
東海道が江戸~大坂と決められても
関西の人は江戸に反抗して、京都~大坂を東海道とは呼ばず、
その区間を、
敢えて
京街道、または大坂街道と呼んでいたそうです。
その、江戸に対する反骨精神は現在の歴史教科書にまで影響し、
いまだに東海道は京都までです(笑)。
いまだに東海道は京都までです(笑)。
そのくらい、歴史認識に造詣の深い関西人ですが、
何故か、もっと大きいことには無頓着。
何故か、もっと大きいことには無頓着。
ここまでは長い前置き
ここからが本番。
ここからが本番。
日本の歴史の時代区分の名称。
簡単に書いてみると、
奈良時代
平安時代
鎌倉時代
室町時代
安土桃山時代
江戸時代
ですよね?(短い期間は省略)
簡単に書いてみると、
奈良時代
平安時代
鎌倉時代
室町時代
安土桃山時代
江戸時代
ですよね?(短い期間は省略)
この○○時代というのは、その時の権力者がいた場所から名づけられています。
ところで、
Q:桃山時代とはなんでしょう?
A:豊臣秀吉の時代のことを指します。
でも「豊臣秀吉」といえば「大坂」でしょ?
あの有名な大坂城でしょ?
あの有名な大坂城でしょ?
だったらどうして、
大坂時代とは言わないのかな?
安土桃山時代、ではなくて、安土大坂時代ではないの?
大坂時代とは言わないのかな?
安土桃山時代、ではなくて、安土大坂時代ではないの?
あの時代は、経済のみならず、政治も文化も、大坂が日本の中心でした。
関西人、特に大阪人なら、みんな秀吉イコール大坂と思っているのではないでしょうか?
きっと、タコヤキや阪神タイガースと同じくらい、
大阪城や豊臣時代の栄華に誇りを持っていると思うのですが(違う?)
きっと、タコヤキや阪神タイガースと同じくらい、
大阪城や豊臣時代の栄華に誇りを持っていると思うのですが(違う?)
どうして、桃山時代、なんていうネーミングに異議を唱えないのかな?
さらに疑問。
Q:桃山って、どこ?
A伏見のことらしいです。
(何故か歴史の教科書では教えてくれません。)
(何故か歴史の教科書では教えてくれません。)
豊臣秀吉が、隠居して晩年を過ごしたのが伏見城。
そこで病死します。
そこで病死します。
でも、晩年を過ごしたからといって、
どうして伏見時代なの?
どうして伏見時代なの?
さらに疑問!。
伏見時代とはいいませんね。
桃山時代・・・?
桃山時代・・・?
桃山というのは、伏見周辺に桃の畑があったから名付けられた、比較的新しい名称らしいです。
全く推測ですが、
昔のエライ歴史の先生が、勝手に「桃山時代」と名付けてしまった?
(この人は、モモが好きだったに違いない!)
昔のエライ歴史の先生が、勝手に「桃山時代」と名付けてしまった?
(この人は、モモが好きだったに違いない!)
少し、ひどすぎません?
まだ伏見時代と呼ぶのなら分かります。
まだ伏見時代と呼ぶのなら分かります。
例えば、
江戸が東京に改名したからといって、
江戸時代のことを東京時代とは呼びませんよね
江戸が東京に改名したからといって、
江戸時代のことを東京時代とは呼びませんよね
歴史業界というのも権威主義らしいので、
モモ好きのえらい学者の派閥には逆らえず、それっきりなのでしょうか?(泣)
モモ好きのえらい学者の派閥には逆らえず、それっきりなのでしょうか?(泣)
ここで、最大の疑問!
Q:どうして大阪人たちは、
桃山時代、なんて呼ばれて平気なのですか?
(ちなみに桃山は京都府です、大阪府ですらない)
Q:どうして大阪人たちは、
桃山時代、なんて呼ばれて平気なのですか?
(ちなみに桃山は京都府です、大阪府ですらない)
東海道のことを大坂街道と呼ぶほど
自意識過剰なのに!(笑)
自意識過剰なのに!(笑)
A:大坂人に聞いてみないと、ワカラナイ。
但し、学校で日本史をきちんと履修した大坂人でないと、
聞いても質問が成立しない・・・
但し、学校で日本史をきちんと履修した大坂人でないと、
聞いても質問が成立しない・・・
ちなみに、
「伏見」というのは、豊臣時代と江戸幕末の2回、歴史の表舞台に登場します。
「伏見」というのは、豊臣時代と江戸幕末の2回、歴史の表舞台に登場します。
旧東海道を歩いてみると、幕末の伏見については
伏見奉行所跡
鳥羽伏見の戦いの跡
などで触れることができるのですが、
伏見奉行所跡
鳥羽伏見の戦いの跡
などで触れることができるのですが、
豊臣時代のものは、なんにもアリマセン(泣)
伏見城の跡すら、場所がわかりません。
伏見城の跡すら、場所がわかりません。
その代わり、
伏見桃山城という、お笑いレジャー施設があるそうです。
いや、あったそうです。
倒産してしまいました。
伏見桃山城という、お笑いレジャー施設があるそうです。
いや、あったそうです。
倒産してしまいました。
そういえば町で見つけた古い観光案内図に
伏見桃山城というのがあったのですが、
上から消してありました。
そういうことだったのですね
伏見桃山城というのがあったのですが、
上から消してありました。
そういうことだったのですね
でも、そこにあった「お笑い」天守閣は、
なんと街のシンボルとして税金で復活するらしいです。
なんと街のシンボルとして税金で復活するらしいです。
伏見桃山城として!(笑)
歴史上、桃山城なんてものは存在しないのですけどね、たぶん(笑)
大阪人、じゃなくて関西人の歴史感覚は、とっても「謎」であります(笑)
やっぱり「歴史」と「お笑い」の「謎」を究明するためには、
京都から大坂まで旧東海道を歩かないといけません。
えらい歴史学者も、歩かなきゃダメだよ!
京都から大坂まで旧東海道を歩かないといけません。
えらい歴史学者も、歩かなきゃダメだよ!