



当時の弥彦線、信越本線と越後線を、串刺しにする路線でした。
こんな面白い線形の路線は、日本でここだけでしょう、たぶん。
東三条駅13:54→越後長沢駅14:07
予想通りではありますが、雪の中。
短い沿線も雪だらけ、終着駅も雪の中。
終着駅のホームは1面1線だけだったのでしょうか?
さらに延びる線路は、いったいどのくらい続いていたのでしょう?
雪の中なので、全然分かりませんでした(泣)。
この弥彦線は、上越新幹線に燕三条駅で接続することから、東三条~弥彦間だけ電化され、残りの東三条~越後長沢は1年後に廃止が決まっていました。
同じ路線なのに、あまりの仕打ちです(笑)。
この路線は、特定地方交通線にノミネートされていなかったと思います。
でも、電化の見返り?に一部廃止です。
特に反対もなかったようです。それだけ需要がなかったのですね。
それでも、あらためて当時の時刻表をみると、1日6往復、おまけに弥彦駅~越後長沢駅を直通する列車の設定もありました。
この直通列車、ちょっと乗ってみたかったです、残念。
串刺し路線の、「串の下の方」は、予定通り1985年3月31日廃止になりました。
「串刺し」から「土」の字になったわけですね。
魚沼線や赤谷線が1年前の廃止ですから、彼らよりは頑張ったということでしょうか。
越後長沢駅の線路は、謎のまま消えてしまいました・・・。
廃止の日、自分を見捨てて?生き残った仲間の弥彦線電化区間のことを、恨んでいたのか、それとも自己犠牲に陶酔していたのか。
永遠の謎です。
写真1:ホームから車止めを望む
写真2:雪の中、根性で行けるところまで行って、振り返り駅を撮影。
写真3:去り行く車内より、駅を撮影。さようなら~