1983年10月22日、特定地方交通線廃止の第1号として、北海道の国鉄白糠線がついに廃止されました。
マスコミは大騒ぎでした。
ほとんどの日本人が、多分北海道の人も、その存在を知らなかったであろう白糠線は、とても有名な路線に昇格しました。
一般人の間に、この名前はずいぶん浸透したのではないでしょうか。
悲劇?薄幸?の白糠線。
渋谷には、「白糠線」という居酒屋まで出来ました(笑)。
可笑しなもので、その年の5月末に廃止された東武熊谷線なんて、ほとんどマスコミに取り上げられなかったと思います。
国鉄の路線が廃止されるというので、大騒ぎです。
でも、マスコミが、国鉄のたったひとつの無名のローカル線廃止を大々的に取り上げてくれたのは、これが最初で最後でした。
このあと次から次へとローカル線の廃止が決定され実行されていったのですが、もはや全国ニュースになるのはマレでした。
まるで、ローカル線廃止のラッシュです。
もっとも、地元エゴの勢いで、第三セクター化を決めてた酔狂な自治体もありましたが。
何故、こうも簡単に特定地方交通線は次々と廃止されてしまったのでしょう。
何故、ローカル線の地元自治体は、廃止・バス転換に簡単に同意してしまったのでしょう
最初の白糠線なんて、実はどうでも良かったのです。
今回の特定地方交通線廃止の仕組みは、地元が協議のテーブルにつけば、その1年以内にバス転換できる非情のルールです。
それでも、今回もゴネればそのうちウヤムヤになる、と誰もが思ったでしょう、私もです。
白糠線みたいな路線が、あと5本くらい廃止されれば、国も国鉄も面子は保てるし・・・。
でも、今回は違いました。
特定地方交通線問題が、一斉に廃止の方向に傾きだしたのは、実にマスコミの白糠線廃止報道騒ぎの最中に、非常に重要な路線の廃止協議がなされてしまったことによるのです。
全国の赤字ローカル線の命運を決めた、少なくとも大きく左右したであろう、運命?の路線。
それは雪国の路線です。
その名を、魚沼線といいます。
あの、田中角栄のお膝元。
日本の地元エゴの総本山(笑)。
その田中角栄の地元で、ローカル線廃止の協議のテーブルについてしまったのです。
早々にバス転換、廃止は決定されました。
実際、それだけどうでもいい路線だったのですね(悲)
同じ新潟県の赤谷線も廃止に同意しました。
なんと、あの新潟県内で、ローカル線が一度に2路線も廃止されることになったのです。
他の地方自治体もこれを知ってカンネンしたと思います。
あの新潟県までバス転換に合意した。
今回はゴネ得は難しい・・・。
なだれのように廃止は決定されていきました。
日中線、清水港線、盛線、宮古線、久慈線、そしておまけのように相模線西寒川支線。
これらが、なんと84年3月31日、同じ日に一度に廃止されることになりました。
白糠線廃止から半年も経過していません。
大変です。
未だ乗っていない路線がたくさんあります。
悠長に構えている場合ではありません。
廃止前に巡礼しまくりました。
でも、一番ショックだったのは、この国鉄ローカル線廃止騒動の最中、ひっそりと私鉄ローカル線で廃止が相次いだことです。
いきなりです。というか、廃止されてから知りました(大泣き)。
本当に私鉄ローカル線の情報って少なかったんです。
83年11月30日、鹿島臨海鉄道旅客営業廃止
84年1月31日、別府鉄道廃止
どちらも乗らずになくなってしまいました。一生の不覚です(本当)。
(鹿島臨海鉄道は、昨秋に臨時列車が走り、乗れました、ラッキー。でも、別府鉄道は絶対にもう無理です、線路ありませんから・・・)