禍 転じて福となす。 母がたおれたとき。妹はまだ 田園調布のアパートにいた。 病院を出、母は一時期 妹の所へいることとなった。 通院に楽だからだ。
8:30 ~ 妹宅 朝食 ・オートミル+クコ ・トマト、玉ねぎ キユウリ 2個 ・酢大豆
・・・・妹が会社へ出かける
私が 執筆CHECKの間、母が新聞広告ウラに 自分が家へもどった後の”青山のレイアウト”を書いている。
右・左手が痺れているというが、鉛筆をもってスイスイ書いている。
**そして本日より。 三味線・唄をはじめる。
本調子「 ことしーより、 千度 迎 ふる 春ごとにイ
12:00~ 昼食 **上図のごとく:-
14:00くらいまで」 母眠りもしないで 三味線 爪弾き -筑摩川 と 梅の栄え
・・・・・社会復帰が早い。
この日の出来事背景:
妹のつくる料理 やはり違うなあと思った。 近くのスーパーにも買出しにでかける。
病院の食事、家での食事 そして三味線が加わえられた。 東急線 トンネルの見下ろせる橋で母と散歩
に出、通過する電車をみおろしていた。
介護も本調子になってきたな。