「複合汚染」 特に日本のような国では、小説になりえない題材だ。 金にならないからだ。 昭和54年5月に本は発行されている。 時代の差異も感じる。実名で人が登場してくるのだ。 現代社会は行きすぎの”個人情報保護”とやらで騒いでいる。
{次ぎの街頭演説で、紀平O子は憲法25条をとき始めた。 「私たちは憲法で健康権と幸福の権利を保障されています。けれども、今、私たちをとりまく環境が汚染され、私たち人間にとって最も大切な健康権は奪われようとしています。」・・・・市川房江の選挙の縁の下にいて、・・・・・・ 吉武さんが最後にマイクを握り、「皆さん、いま日本で一万人の赤ちゃんがオギャと生まれると・・・・・・ 「四日市の赤ちゃんたちが公害喘息に苦しんでいるのを私は見てきました。 お母さんが赤ちゃんのつめを切つてもきっても、赤ちゃんは喉をかきむして苦しんでいるのです。胸には血の刻印が・・・・・」吉武さんは涙ぐんで切々と話しているのに、主婦たちはまったく自分とは関係がないという顔で、さっさと買い物に行ってしまう。 私(有吉)は考えこんでしまった。}
□□単独の汚染でも大変なことだ。それなのに複合だ。あそこも駄目。ここも駄目というのに、よくよく平気でいれる。 こんにち。地球環境に理解を示すような顔をしてる人は多少増えている。が、意識としては、当然、この応援演説時と大差ないだろう! ・・・・でも本当に意識レベルで聞いてもらわないと取り返しがつかなくなるのだ。・・・・・・