数ある日本独特の美しい事物のなかでも最も美しいのは、 参拝のため、あるいは休憩のための小高い場所に上がってゆく途中の道である。 それはいわば、なんでもない所に通じる道、無に至る階段である。

 その特別な魅力は、偶然が重なってできる魅力である。 人間の手によるものと自然の条件ー光と形と色ーとが調和して生まれる効果があって、雨の日には消失したりする。 だが、変わりやすいものでありながらも、やはり素晴らしいのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それはまるで、デカメロン時代のイタリアの快楽の園にでも続くかと思わせるような光景である。  ところが、台地についてみると、そこには門が一つあるだけで、開いた門の先はなんと墓地になっているのである。 仏教の庭師は我々に、栄華も権力も美も、ついにはすべてこのような静寂にいたるのみだと告げたかったのであろうか。

                       鳥居                   4月16日 京都にて=旅の日記から=



○○○鳥取のBROGERの片に刺激されこのテーマを書きました。ー 松江はラフデイオカ・ハーンが英語教師として赴任した所です。 手紙の中でも、神の国に来たと感動をのべています。 滞在は一年半くらいの期間だったらしいですが、結婚もし多くの作品も執筆してます。 イギリス・ギリシャのHALFの彼が"これだけ凄い文章、日本人以上に日本人らしいものを書いてるのです。