1966年(昭和41年)4月から 2年半にわたって、日本基督教団出版局から出ている月刊雑誌”信徒の友”に連載された小説である。     おひつじ座 昭和14年、旭川六条月報に、当時の小川牧師はこう書いている。 「今を去ること満30年前、明治42年2月28日は、 私どもの忘れる事のできぬ日であります。即ち基督の忠僕長野政雄兄が、鉄道職員として、信仰を職務実行の上に現し、人命救助のため殉職の死を遂げられた日であります。」

  ・・・・・塩狩峠で、大勢の乗客を乗っけていた客車が、深い山林の中をいく曲がりして越える、かなり険しい峠で、列車はふもとの駅から後端にも機関車をつけ、あえぎあえぎ上がるのであるが、・・・ほとんど直角ともおもえるカーブをまがったとき。 一瞬、客車はガクンととまったような、次の瞬間、客車はたよりなく後ずさりしはじめた。・・・・・・窓の景色がぐんぐん逆に流れてゆく。・・・・汽車が離れた。 客車は転覆して、谷底へおちてゆくぞ!!!  信夫(主人公)はすーっと立ちあがり、乗客を落ち着かせ。 客車のデッキに出、ハンドブレーキをまわしだした。 一刻もはやく列車をとめようと。 ・・・・・・もう50M先に急な坂がせまってきた。 信夫の手はハンドブレーキから手がはなれ、その体は線路をめがけて飛び降りていった。 客車は不気味にきしんで、信夫の上に乗り上げ、遂に完全に停止した。

  一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん、もし死なば、多くの実を結ぶべし。(新約聖書 ヨハネ伝

                                                         第12章 24節)