久しぶりに綴ろうと思ったが、完成に随分手間取り日付もしてないが、実際は12月初めの内容になった。


先週から、博多では雨が静かに降る日が続いている。
昨日はアトリエから、そぼ降る雨に濡れたアスファルトの上で跳ねる二羽の雀が見えた。
黒いアスファルトに水溜まりの灰色の空があって、波紋が細重なりに生まれて消える。
静かな雨が好きだ。
屋根に弾ける、優しく響く。
窓の内に鳴る、音色が続く。
傘を翳さずに済むくらい、街に響く音に包まれるのが好きだ。
しかし午後には雨雲は割れ気温が急激に下がると、冬の清烈な光が現れた。

隔週で月に二回、土曜日の姪浜教室の後は、天気がよければ歩いて帰る事にしている。土曜日がまるで絵の具のように青い空だったので、授業の終わった正午過ぎさて歩こうとした処で傍と気付く。年明けから20号を描く生徒さんにこれ迄とは毛色の違うモチーフを組む為、姪浜から幾つか材料を借りる約束をしていたのだ。生徒さんの手を借り袋三つに詰め込む。かなりの重量だがそれでも歩く。
十二月といえども遮る物のない陽射しである。両手にぶら下げた荷の重さに身体はふらふらと揺れ、すぐに汗が腋の下を流れはじめる。上着の釦を外して風を送り込む。程無く今度は指先が痺れはじめる。交叉点で信号が変わるのを待つ間、一旦荷物を下ろして両手を見ると関節が白くそれ以外の部位が紫に変色し、掌を擦り合わせても一向に改善されず、細かい棘で絶えず突かれたように妙にぴりぴりとする。
室見を渡り樋井を渡り、大濠に着いた頃には肩肘が強り、姪浜と清川のちょうど中間に充たる舞鶴城の濠傍で小休止をとる。出発した時と比べ足元の影が伸びている。太陽の傾きが早い。
濠は輝く水を湛えていた。
尾長鴨と真鴨の一群が五十羽もいたろうか、ぷかぷかとオロかナライに吹かれてある。
この時期家の近所で見る鳥は、鳩に雀に鴉にヒヨドリといったところだ。美野島の川縁でたまに鴎を見ることもあるが、潮の満ち引きか、風向きの都合か、姿を見ない時も少なくない。大学の池に鴨は二羽いたが、こうして群れを眺めることもそうない。
小春日和の都会の一角、くっきりと鳴き声を響かせて、鳥達は確かに寛いでいた。
心から楽しんでいた。

一羽の付けたゆるやかな水尾に曳かれた数羽が列になり目の前を過ぎてゆく。丁寧に羽根に油を塗り込む者もあれば、背中に顔をうずめ午睡する者もある。
羽撃いて水面に立ち上がる者、ひっくり返り翼を洗いながら、足掻く沫きが逆光の掘土を背景に輝いている。
そんな周りの騒ぎなど意にも介さず、顔を背中に突っ込んだまま、風が吹く度眠ったままゆらゆら流される者がある。風は吹いても流されず一点に留まる者もある。風に向かってゆっくり泳いでいるからだ。風に流される者と風に流されぬ者。彼等を眺めていると、そこにまるで風が見えるような気分になる。
感情のない動物はいない。それを言葉にするかしないかだけが人との違いで、言葉に頼らずとも、心は大勢が同じ場所で過ごすだけで、自然と伝え合うものだ。
それは個性にも現れる。
常に群れの中心で振る舞う務めを自ら科す者がいる。お互いの一挙手一投足に寄り添い、他者への関心に乏しい夫婦がいるかと思えば、個人主義とでも云おうか、群れの動向にすら興味の薄い者がいる。退屈そうにしている顔がある。仲間を観察している顔がある。何か面白いものがないか広範に回遊するばかりの顔もある。
寂しがり屋にも様々あって、特定の一羽だけに付き纏う者もあり、誰かと誰かが会話を始めた途端、文字通り嘴を容れる者もある。付かず離れずの距離を守るのも一種の寂しがり屋と言えるだろう。
眺める程に鳥達にも、こうした交感があるのが分かる。

では人に対してはどんなものかと、指を伸ばす先から泳ぎ去るのは、この水鳥達が人に不慣れな越冬に海を渡って来たからだろう。私は泳いでばかりの彼等の飛ぶ姿が見たいと、かれこれ三十分も眺めているが未だお目に掛かれずにいる。
この濠を移動する程度で翼は使わない。移動は専ら泳ぎだよ、とでも言いたげに。それだけ長い距離--恐らくはロシアから--を飛んできたということか。
博多で冬を迎える鳥達には博多の冬しか知らぬ営みがあり、春にはまた海を渡る、故郷の春と夏しか知らぬ営みがある。冬眠中の熊の気持ちを無理矢理想像してみても理解にまでは至らないのと同様に、冬の寒さから逃れる為だけに、はるばる数千粁の彼方から飛来する鳥達の心も分かろう筈がない。
渡り鳥がどのようにして目的地を迷わず到着するのか明確な答は出ていないらしい。星の移動や地磁気、地形等を頼りにしているのではないかと言われている。人はかように神秘的な能力を残念ながら持たない。しかし鳥にしてそうした力があるならば、有史以前の人類にも科学で解明さていない何かしらの力が具わっていたとしても不思議なことではない。
何故なら、私達の祖先は夜空を照らす物体が月と星だけの世界の住人だったのだ。一穂の灯火を握りしめた。
テレビもなく、ラジオもない。
言葉は最小限、あったろう。
夜が、暗闇そのものを雄弁に語る世界だ。気の利いた修辞が生まれるのを、孤独に待つまでもない。
それは国のない世界。
地図のない世界。
獣が移動するにつれ、磨かれた石を振りかざし後を追った私達の祖先を、現在とは異なる力が支配した世界。
そこでは一本の木ですら、今とは異なる見え方をするだろう。
山の連なりが、神々が掴む最初の巨大な手形であったろう。

先日秋月から原鶴までの小旅行で博多の街の過密を改めて感じたが、途中筑後川で漁撈の上に久しぶりの雁行を見た。
菊地や益城に住んでいた頃は、年に数回「くの字」を画く編隊を見上げながら遠い北国に想いを馳せた。当時よく読んだ漫画の景色にあった、陸奥の真紅や蝦夷松の原生林は、あの鳥達が後にしてきた生まれ故郷だろうかと…。
まだ博多という街がなく、空がもっと拡がっていた頃から、今も彼等は本質的に変わらない。
鳥達はただ、ずっと飛び続けてきただけだ。それは私達の先祖が見上げてきたものと同じで、今私達が見上げるものとも同じだ。この先化学が如何に新しい発見をしようとも、過去に人間が失った感覚がどれ程鋭いものであったとしても、そこには人が見上げることしか許さぬ、鳥達の完きの空がある。
それをただじっと眺めた。

いつの間にか太陽は白っぽい色を更に薄め、風にも冷気が織り込まれてきた。
ふと視線を落とすと、優に二尺はあるだろう、鈍色の鯉が私を見上げていた。そっと人差し指で触れると、餌を呉れないと分かったのだろう、ゆっくり身を翻し水底に消えた。