正午。

ある放送がラジオから流れてきた。

初めて聞く声。

 

「朕深く世界の大勢と 帝国の現状とに鑑み 非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し ここに忠良なる汝臣民に告ぐ

朕は帝国政府をして 米英支蘇四国に対し その共同宣言を受諾する旨通告せしめたり・・・。

 

おもうに今後、帝国の受くべき苦難は、もとより尋常にあらず。汝臣民の衷情も、朕よくこれを知る。しかれども、朕は時運のおもむくところ、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。・・・。」

 

レコードに録音された天皇陛下の声。

このレコードを巡って、前夜にひと騒動あるけど

ポツダム宣言を受け、無条件降伏を受け入れることを宣言した。

そういう日です。

海外では日本が降伏文書に調印した9月2日を大東亜戦争終結の日としていることが多い。

降伏文書の調印式は1945年9月2日、東京湾に浮かぶアメリカの戦艦ミズーリ号であった。

ちなみに、太平洋戦争とは、戦後にアメリカが正義であり、日本が悪ということを明確に示すために

わざわざアメリカが作った言葉です。

 

ちなみに、お隣の国は勝者の顔をしていますが、あなた方は敗戦国ですから残念。

ちなみにそれでいうと、中国共産党は日本軍とは戦わずに、力を温存し

蒋介石率いる国民党と日本軍が疲弊したところで、勝負しようとしていたわけで

しかも、日本軍の残党を殺さずに、殺さない代わりに共産党員として、

国民党と戦わせたというね。漁夫の利をもってして今日に至っているわけで、

あまりデカい顔されてもねぇ笑っちゃいます。

 

日本兵の中には、東南アジア諸国に残り、最後まで独立戦争に携わって散っていった

兵士たちもいるし、シベリアで抑留された兵士たちもいる。

小野田少尉や横井正一さんのようにジャングルに20年近く隠れて生き延びたり

残留孤児として、中国人に育てられたりした人たちもいる。

俺が小学生の時は、よくニュースで残留孤児が見つかりました。とか帰ってきましたとか

流れてたけど、いつの間にか聞かなくなっていき、日本兵の遺品や人骨などの発掘調査も行われなくなり、

こうやって戦争が終わっていくんだなぁ。

 

戦争で犠牲になったすべての人に黙禱。