久しぶりの曇天で気温があがらない寒い1日、犬たちのお散歩は短めでした。
トマト入りワカモーレ作りを、冷凍保存しておいた青唐辛子の量と種類を変更しながら3連ちゃんしています。
短時間でできてとても美味しく、今までのレシピと異なり、アボガドが変色しにくいです。
狭いところに入るのが上手なアーサー君。
4日に帰宅したパートナーが作業していたテーブルと椅子の間に入って寝ていました。席を立って庭に出たパートナーを目で追っています。
ヴィーガン見習い9ヶ月目になりました。
このブログの初期に自己紹介したように、犬たちとの暮らしの中でPONOPONO犬育てに出会えて動物の権利を知り、脱動物搾取を選択するためにヴィーガンになりました。今まで知らなかった世界、つまり動物を搾取している私たちの生活とヴィーガンという生き方についてよく考えるようになったきっかけは、久しぶりの人との再会と本の再読です。
動物の権利を学ぶ入門書として「動物の命は人間より軽いのか 最先端の動物保護思想」マーク・ベコフ著を数回読んでいます。
本書の前半では、哲学が影響力をもった人間による動物への対応とその歴史上の変遷が述べられています。また、動物に対する人間の態度を、種差別者(Speciesist)、権利論者(Rightist)、福祉論者(Welfarist)、功利主義論者(Utilitarianan)として紹介し、動物と人間に関係する判断基準を思考させる様々な想定例や問題提起、質問があげられています。
この本の後半に、一つの質問がありました。「もしあなたが肉を食べるのなら、どうしてあなたはそうするのでしょうか?」
私の答え:
- 今まで食べてきた習慣だから
- 肉を食べないと周りから付き合いの悪い変な人と思われそうだから
- 食べるのが便利だから=食べないと不便だから
- おいしいから
- 体質的に肉を食べないと具合が悪くなりそうだから
私自身にとって肉食を止めることのできない手ごわい理由は1番と2番でした。
でも本書では、昔から行われてきた動物の生体解剖も動物テストもほとんどが習慣と非科学的な論拠に基づいているということが説明されていました。便利だから、昔からやっている習慣・伝統だからという理由で動物の利用へと向かうことがいかに多いかが本書では解説されています。
そして、肉食をやめて動物への思いやりの気持ちを優先してよい、自然の中で優しい存在であろうと努力していいのだという宣言にほっとしました。
今の人間中心の社会では、動物の立場でものを考えようとすると、科学的ではない感情論でものを言うとレッテルを貼られるように私は感じていましたが、本書では動物に気遣うことはやってもいいことなのです、と明言されています。また、例えば学生が生体解剖において動物を利用することに反対しようと決めることは、反知性的あるいは急進的なことでもないという記述と証明に、さらにほっとしました。
昔からやっている習慣・伝統を動物利用の言い訳にはできない、科学の多くの分野が進化した現在は代替案があることが軽々と示されています。
であれば、ヴィーガンという生き方を推し進めるャンス到来です。
7㎏という減量と、循環器系がより健康になったことはヴィーガン見習いの副産物です。
肉より高い豆を購入するための出費も副産物です。食べ物の価格にはそれなりの理由があるので譲れないところです。
全然興味のなかった美味しい酵母お菓子作り・パン作り教室へ参加することも副産物。
近所のレストランでヴィーガナイズしてくれるところができたのも意外な産物。
新しい世界の探求と、習慣に頼らずに自分の中で矛盾のない生き方はとても単純になってきそうです。