そよぐ風に揺れる梢。その揺れが、果実を落とす。
「うにゃ!?」
ぽてん。落ちてきた果実が頭に当たり、ぱちっと目を開けるみお。
「にゃにゃ?蓬莱学園の密林にいたはずなのに…ここどこにゃ?」
風紀委員として蓬莱学園の密林に赴いていたはずなのに、気付けば密林とは程遠い、心地よい林の木の根元で寝転んでいた。毛並みを撫でるそよ風が気持ちいい。
そう、毛並み。首飾りの魔力により人型になっていたはずのその姿も本来の猫の姿へと戻っていた。通常なら1時間しか持たないはずの【変化】も、師匠から譲り受けた鈴のアクセサリーの効果で12時間は保つはず。ではそんなにも寝ていたのだろうか?それにしてはまだ日差しは、太陽の位置は昼前のようだが。それに何より…
「うにゃ~?この空気は…」
ぴくぴくと、辺りの空気に何かを感じ取っているように耳とひげを震わせ…
「んにゃ!」
だっ!と駆け出し、林を抜けるのだった。落ちてきた果物を食べながら。


林の側に立つ一軒家。ともすれば庵にも見えるが、その実それなりに立派で住み心地も良さそうだ。昼食を作っているところなのだろうか。美味しそうな匂いが漂ってくる。
「みおがいないと食事の準備も平和ですね」
「そうだな…食費もずいぶん安くなった」
台所で調理しながら、そう話しかけてくる若い女性の声。それにテーブルで本を読みながら、漂うおいしそうな匂いと音を味わいつつ答える師匠。
「ははは。でも…実は寂しいんじゃないですかー?」
そんな答えに、師匠の方へ顔を覗かせて、笑いながら重ねて尋ねる楽しそうな、からかうような声。
「な、何を!平和で何よりだ。みおが居たら食事の準備にしても、つまみ食いで無くならないように気をつけなければならないわ、食事は食事でまるで戦争のような有様になるわ、食費は一体何十人分だ!?ってくらいかかるは…」
憮然とした表情で、狼狽したような口調でぶつぶつと呟く師匠に、台所に立つ女性はおかしそうに笑いながら覗かせた顔を引っ込め、料理を続ける。
可愛いんだから。クスクス笑いながら、そんなことを言う女性に。顔を紅潮させて、そしてそれに自ら気付いていっそうと憮然とした表情になり、
「そ、そんなつまらないことはどうでも良い!それよりもう昼になるが食事はまだかかるのか?」
ごまかすように、八つ当たりするように、話を変えようとする師匠。
「あらあら。私はあなたほど寂しがってませんから、そんなみおの真似はしなくて良いんですよ?それに、もうすぐ出来ますよ」
ふふふ。実に楽しそうな台所の女性。割と酷いことを言ってくる。色んな意味で。
「なっ!」
あんまりなことを言われ、絶句する師匠が、我に返り何かを反論するより早く。
「あら?調味料が…ちょっと買い足して来ますね」
などとわざとらしく言いながら、出て行く。
ごゆっくり。満面の笑みでそんなことを言いながら。

「まったく…何を言い出すのやら」
読んでいた本を閉じ、目を瞑ってやれやれと頭を振りながら呟く師匠。しかし。そうは言っても、やはりこうして話題に上ると色々物思いにも耽ってしまう。
「しかし…みおはちゃんと役目を果たしているのか?なんとか捕まって任務についているみたいだが…」
あいつも猫神族の一員とはいえまだまだ未熟。自覚さえないからな。普通に猫族だと思っているだろうし。それに、なんといっても。どうしてもアイツが真面目に任務をこなしている姿は想像できない。食欲、本能何より優先。チームを組んで任務に当たっているらしいが、その仲間に食欲や本能で迷惑掛けてなければいいが。何より、うかつな所が多いからな。
まるきり信用がないのだろうか。自分で送り出しておきながら、酷い言い様だ。
しかし、そんな言葉を浮かべつつも、その表情は心配げだった。無事だと良いが…。

ことっ。
今頃、一体何をしているのだろうか。思いを馳せる師匠の耳に台所からの物音が入る。
「おや?ずいぶん早いな」
料理をしていた女性が調味料の買出しから帰ってきたのだと思い、声をかける師匠。
ごとっ!
その声に反応するかのように響く物音。
「ん?何をそんなに慌ててるみたいに…大丈夫か?」
ごとごとっ!
「だ、大丈夫に、はっ!」
「む…?」
更に慌てたような物音の後に聞き覚えのある声。
そういえば買出しから戻ったにしては一体どこを通って台所に…?そんな疑問と共に、にゃぁと笑う顔が、姿が浮かび、師匠の口元が、こめかみが引きつる。
「ま、まさかな。アイツは任務に就いているはずだしな…」
嫌な予感を振り払うかのように頭を振り、幻聴幻聴と口の中で繰り返す師匠。
「そ、そうにゃ幻聴にゃ気のせいにゃ」
「て、そんなわけあるかー!!」
がー!とばかりに本を叩きつけ火を吐く勢いで台所に飛び込む師匠。
飛び込んできた師匠に目を丸くし、驚きながらも鍋の中身を喰らうのを止めないみお。
「みぃおー!!なぜここにいる!?」
「うにゃー!」

これが…みおの久しぶりの帰郷だった。


久しぶりの再会を喜び合った後。過激に喜び合った後。喜び合った?いや、間違いなく再会を喜び合いもした後。
「さて…蓬莱学園側に連絡したところ…って聞いてるのか!?」
のん気に寝転んで、うにゃうにゃと眠そうにしているみおを掴み上げ、声を荒げる師匠。
「にゃ!き、聞いてるにゃ!風紀委員長が何か言ってきたのかにゃ?」
びしっ!わざとらしい敬礼をするみお。
「…まぁ良い」
こいつの態度を今更どうこう言っても仕方ない。ため息をつくとぽーいとみおを放る。
師匠、教育者の責務はどこに?自分の教育結果から目を逸らしちゃ行けない。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
もっとも、相手はみお。どうしたところで、大して変らない結果が待っている予感も激しいのは人徳か。猫だけど。『徳』というにはアレだけど。
「今回の相手は『魔法』を使うそうだな。異世界の人間だというのに気合いの入ったことだ。敵性ファンタジーに接触したとはいえ、誰もが覚えられるものでもないのだがな。まあ、使えるものは仕方がない。今回の任務に派遣された者達は、いずれも『魔法』への対処は苦手だろう。それに、今回の事件はどうにかなったとしても、昔から蓬莱学園には度々『魔法』が存在していた。異世界にあって、最もこちらに近い場所の一つだからな。そして今、再度のファンタジーの侵蝕だ。今後、『魔法』への対抗策は重要となる」
目を閉じ、考え込むように腕を組む師匠。風紀委員会から報告された情報と、委員長との話し合いを頭に浮かべる。このタイミングでみおが戻ってきたのも、そう考えれば都合が良い事態かもしれない。
「そこで、風紀委員長と私の意見は一致した。ちょうど良い機会だから…『再訓練』だ」
ニヤリと笑い、掲げた手に雷を纏いながら、告げる。


「うにゃー!」
悲鳴を上げながら駆けるみお。その身体は、所々焦げ、羽根やひげ、毛並みもへんにゃりとしている。
「こら!逃げるな、みお!これはお前の為の訓練なんだ。さあ、続けるぞ?」
みおを追い詰めるように、その後を追う師匠。実に楽しそうだ。
「ふ、ふふふ…。これは訓練とは言わないにゃ…。弟子虐待にゃ…」
やがて。逃げ場の無い、袋小路に追い詰められ、虚ろに視線を彷徨わせながら呟くみお。
「何を言っている、立派な特訓だ。今回の事件の相手は魔法を使ってくるんだろ?だったらなおさら【対抗魔法】(※相手の魔法を逸らしたり、解除することが出来る魔法)は必要だろう」
「だ、だからってお師匠さまの魔法の餌食になって覚えるのは何か違うにゃー!!」
カリカリと壁を引っかきながらなんとか逃げようとするみお。
「私も前回から少しは学んだ…。お前に対してまともな方法で教えようとすることが、どうやら間違いだ」
腕を組み、うんうんとうなずきながら告げる師匠。
「そ、そんなことないにゃ!普通の方法が一番にゃ!」
首を振りながら必死に否定するみお。
「いやいや、遠慮するな。お前らしくない」
「遠慮じゃないにゃ!みおは褒められて育つ子にゃ!」
既に涙目を超えて滂沱の域。
「ほほう。褒められて育つ、か。だがお前、今回全く何も、欠片も役に立たなかったそうだな?」
どこを褒めろと言うんだ?そう問いかける師匠の目に、つっと思わず目を逸らすみお。
「さて、お互い納得がいった所で。さあ、いくぞ」
震えるみおに向かって、手を伸ばし呪文を唱える師匠。
納得してないにゃ。光を放ちだすその手を見ながら、涙を流してイヤイヤをするみお。
「ちなみに…魔法を打ち消せるまでご飯抜きだ。いい加減お腹空いただろ?」
ニヤリと笑いながら告げ、空いた手に串焼きを掲げる師匠。
ぴきぃーん!
逃げ場を求めて彷徨っていたみおの視線が一点に固まる。
「さぁいくぞ?」
掛け声を共に師匠の手から放たれる稲妻。
それが、まさにみおに直撃するかと思われた刹那。
しゅぽぉ~ん☆
間の抜けた音と共に、閃光が瞬いた。
「む!」
閃光からとっさに目をかばう師匠の視界が一瞬塞がれる。
そして、刹那の閃光が収まった後、目を開けた師匠の前から、みおは消えており、その手からは串焼きが消えていた。
「どうにか【対抗魔法】を身に付けたようだな」
後ろを振り返りながら告げる、その視線の先には…しびしびと痺れながらも串焼きをおいしそうに食べるみおの姿があった。
「まだまだ微妙なようだがな…」
やれやれと首を振りながらも微笑む師匠だった。