ka beu

カミーユ               分別ざかり


「お行儀よくしなさい」「カミーユ、お前は女よ」「カミーユ、自分の手をよくみなさい」  しかし違うわ、私はまさしく、揺さぶりをかけ、ひっくり返し、生身をきりつけるのがすきなのだから。 ”カミーユ・クローデル アンヌ・デルべより”



女が芸術を志すことなんか認められていなかった。認められていないのに才能があった。才能があったけれども認められないから、封じ込められた。それでも彼女は格闘した。傷ついて、ぼろぼろになるまで。才能があることは、女性にとっては必ずしも幸せだとはいえなかった。ロダンの弟子となり、やがて妻のあるロダンと愛し合い、最後は精神病院でその生涯を閉じた女性 カミーユ・クローデル。


国立西洋美術館へカミーユの彫刻の実物を見に行った。生命が溢れるような彫刻。その彫刻は彼女の犠牲の上に生まれてきた。


若いカミーユとの愛、ロダンに尽くす妻、国際的名誉と財を得たロダン。


そして、ロダンと別れて後は、助手もなく、たった一人で大理石に向かい、世間にはなかなか、認められないまま、経済的な困窮の中、それでもすばらしい作品を作り続けたカミーユ。


ロダンとあまりにも似ているといわれたカミーユなのに、余りにも違いすぎるロダンとカミーユの人生。


女に生まれることは壮絶な戦いだ。女にとって愛はすべてなのだ。男にとっては、所詮 愛は自分の一部でしかないのだ。


純粋に愛して、傷ついて、苦しんで、憎んで、破滅していったカミーユ。彼女の命や叫びや悲しみや愛や喜びが、彫刻の中に閉じ込められて、今も私たちの前にあることは魂の永遠を実現している。


「分別ざかり」 カミーユの弟、詩人のポール・クローデルは「この裸の若い女、それは私の姉なのだ。嘆願し、屈辱を受け、ひざまずく。あの美しく誇り高い女が、こんなふうに自分を描いている」男はロダン。老婆は、ロダンの妻。若い女性は、カミーユ。