tokyo


40代の女性と20代の青年の2つの恋の話。


目の前に見えているもの、年齢、容姿、社会的地位、未婚、既婚、お金、学歴・・・。

いろんなものが見えるから、いろんなことを考え聞こえてくるから、たくさんの知識や情報をもっているから、可能性がたくさんあるから、自分の本来の心はそれに左右されるものなのだと思う。

何か自分に大きな欠損を抱えた人のほうが、自分自身の本当の心を敏感に感じ取れるのは、そのせいなのかもしれない。


恋愛小説は、さまざまなハードルを障害ともせずに自分の心に忠実に誰かを愛し愛されたことが描かれていて、自分にとっての本物を追求する主人公たちの能力を見せ付けてくれる。


感受性豊かなヘルマン・ヘッセが女性として完成された年上の人に恋をした。そのことが小説によく書かれている。


ただ、この小説にでてくる主人公は、徹の方は未熟で、ただ美しい経験も豊かな女性に惑わされただけ、耕二の話のほうが、まだ、理解できたけれど、これも、未熟なくせに世間知らずな若造が女を手玉に取ったと誤解しただけ。詩史は、体裁が良すぎて、人間らしくない。貴美子が、一番人間らしい。それにしたって、男と女の愛の本質を描いている・・とは到底思えません。


いまどき・・・そんな年齢を重ねてもさらに輝く40の女性がいるのか。20にして、純粋な魂をもった男性がいるのか。


私には、あるアバンチュールのひとつにしか感じられませんでした。