病気になった人がいたとして、自分の身の回りのことができなくなると(またはそう訴えると)、それを支えるのは家族っていうのが前提にある。

母の主治医は、母の病状をよくするにはどうするか、でしか考えてくれなかった。私と母の間にある問題に目を向けてくれなかったし、それを扱うのは範疇外なんだと思う。それはまぁ仕方ないのかもしれない。

親子の関係は難しい。きっと、私みたいに自分で稼ぐ力がなかったら、親と一緒に過ごさざるをえないし、どれだけ苦しくても離れることができない。とても苦しいと思う。でも、離れようとするから苦しいのかもしれない。一緒にいたとき、私は苦しかっただろうか。

 

嫌な思い出はたくさんある。今の私はその思い出を嫌だったな、と思うけど、当時の私はどうだったんだろうか。

言うことを聞かない子だから、きっと殴られても仕方なかった。

親がしたことは常識の範囲内、しつけの範囲内、なんだろうか。

 

ここでまた正解や他者からの認定を求めてしまう。ここに正解はなく、私がそうだと感じたら「そう」でいいんだと思う。

最近、そうなのかもしれない。と感じるようになった。

 

母の見方になり、父の敵になることでしか、私は愛してもらえなかった。果たして愛してもらえてたのだろうか、とかも思う。将来、自分を助けてくれる子どもを稼げる存在にしたかっただけなんじゃ、とも思う。

私は転勤がある仕事を選んで家を出ようとしてた(そのときは家を出たくて出ようという考え、意識はなかった)けど、母は公務員にさせようとしてたし。自分の近くではたらいてほしいと思ってたけど、猛反発した。

でも、いまのように自立できる仕事に就かせてもらうだけの教育を受けさせてもらったのはありがたくおもっている。おかげで、嫌なものは嫌と思って、恐怖から逃げることができた。

 

仲良くしてる先輩に、少しずつ家の話をしている。このまえ、お母さんとお父さんは仲良くて、お父さんをマスコットのように思っていた、と聞いて、あまりの想像のつかなさにびっくりした笑

いまも実家に住み着いている友達にも話を聞いてみたい。全然しらない家族の形がそこにありそう。

 

安心して過ごせる家がない子ども、そういう家で今もすごしている大人、そこから出てきたけど離れられず苦しむ大人、絶縁した大人、こういう人たちの気持ちの変遷について考えてみたいな。きっと、貧困とこういう問題が絡んだとき、事件が起きるんだろうね・・・・逃げられないんだもんなぁ・・・・

 

訳あって数か月間仕事を休んでいた。最近復帰。もちろん、突然以前のように働くことはできなくて、これやってあれあって、っていうのも少ないしこれまでのルーティーンも免除されている。ほったらかし笑。でも、そのふわっとした感じがありがたい。まだ人と話すのに慣れないし、これまで当たり前にできていたことが、実は結構レベルが高いものだったんだなと気付く。職場にいて座っているのでも疲れる。人に話しかけられるともっと苦しくなる。その人数が増えるともうダメになる。口を開けなくなる。それでもちょっとずつだけど、手を動かしたり職場にいることで、社会復帰できてるなって感じがする。焦らず、少しずつ戻していきたい。

精神的に、全然自立できてないんだなっていうのを実感する。思えば週に一回とかの頻度で家族と電話してたし、依存してたなと。急にその寄る辺がなくなり、すごく心細い。でも、大事な決定を1人でできたり(このコート買おう、とか、いつ職場復帰しよう、とか。前はめちゃくちゃ意見を聞いていた)不安に立ち向かうためにもがいたり、できているなと思う。以前の「とりあえず飛び込んでみよう」という私の精神は、家族という絶対的味方がいたからできたのであって、今はその存在がなくてすごく不安定だと感じているんだと思う。ちょっとしたことで感情が揺れ、涙が出てくる。以前は家族に話せていたから平気だったんだね。

それに気付くことができたから、今回のことも悪くなかったのかもしれない。経済的自立よりも、精神的自立の方が難しい。自覚を持ちにくいので。だからきっと結婚を焦ってたのかもしれない。寄る辺がほしくて。家族がほしくて。それに気付けたから、もううるさく言うのをやめた。一緒にいられたらそれでいいや。もともと死ぬほど結婚したいわけでもないし。焦って形を決めてもいいことがない。それに、決めるには2人の合意が大事なわけで。様子を見つつ、進めていければ・・・ってそれでいいのかってきがするけど、私の土台が整わないと、進めるものも進められないよね。

◎母の離婚

どっちも(しそう)って段階だけど、親がずっと仲悪くて、「いつ離婚すんのかな・・・」ってまじで思ってたんだけど、ここ数か月で急速にその流れができつつある。いまさらだなという気持ちがしてたけど、いざそういう流れになると、定職がない状態の離婚って超ハードモード。月々の家賃のボリュームたるや。

就職する前とかは、私も結婚とか全然考えてなかったから「離婚して私の扶養はいりなよ」とかいってたもんだが、3.4年社会人をやってみて「自分の収入、全然親とか養えないわ」って、20代半ばにして自分の家庭環境の良さ(主に経済的な)に気付く。恥ずかしいったら。

それに、母親的には、20代の娘の扶養に入ったら「いつか結婚するとき足かせになる」って、そういう私が想像もしていなかった未来も考えていてくれたに違いないはずで、私の選択肢と自由をかなえるためにどれだけ我慢をしてくれていたか、、、私の母は、私の幸せのためにできる限りのことを、自分を犠牲にしてやってくれていたんだなと思う。気付くのが遅すぎたけど、気付かないまま、母が人生で一番困っている今助けられないよりは全然いいと思うことにした。

 

◎働き続ける「呪い」

母は私が小さいときは働いてて、ある時期から仕事をしなくなって、大きくなったらまたほそぼそと仕事を始めた。私を育てるために、柔軟な働き方をしてくれたなと思う。でもだからこそ、今悩んでいるし、定職がないゆえに「お金が・・・」といって離婚しない母をずっとみてきたからか、私は1人でも生きていける仕事をしようと胸に決めていた。ありがたいことに1人暮らしして自由に暮らすことができるだけの給料をいただいている。だけど、気の迷いか、人生の転機か、分からないけど「結婚するかも」みたいな雰囲気の男性と付き合っていて、お互い親にも顔見せした。でもお互いの価値観的に、なんか今のままではうまく行かない気がする。彼は今の仕事を続けるのをよしとしてない感じがあるし、私も、彼と一緒にいる時間を大切にするためにもう時間的拘束の多いこんな仕事やめたいと思う。でも、仕事を続けないともし離婚したくなってもできなくなるかも、という「呪い」が苦しい。やめたら相手にすがって依存して、自分を保てなくなる。仕事は自由を守るための最大の武器だと思っているけど、別に今の仕事そんなに好きじゃないし、やめちゃいたいなって思うけどやめられない。でもそしたら今の関係はどうなるの?って、悩んでぐるぐるしてる。

 

◎知ってほしいけど、伝えられない

この不安を彼に知ってほしいと思う。この先どうしたらいいのか分からないし、どうやって一緒に居続けるか、答えが出ない。でも一緒にいるために仕事を変えるってどうなんだろうか、私は将来それで彼をせめないだろうかと。答えが出なくて、不安で、良い方向に進んでる実感もなくて。どうやったらうまく伝えられるんだろうか。そもそも離婚ありきで結婚を考えてるのも、何かさみしくて嫌になっちゃう。年齢が上がり、何か新しいことを経験するたびに考えることが増え、将来への不安が増え、どんどん腰が重くなる。勢いで進んでしまいたい。なるようになるんだと、飛び込んでみなければできないこともあるのかもしれない。

書いてみると心が落ち着くものですね。