父は2024年4月10日に永眠しました。
ブログ公開はゆっくりですが、ブログ記事はなるべくリアルタイムで綴ってきました。
父の頑張りや思い出の記録とともに、
その時の素直な想いをここに書く事で自分の中の気持ちや考えをまとめ、心を落ち着けていました。
父が居なくなって少しの間は、書く気が起きずにいました。少し間が空いて気持ちも落ち着いたので、振り返っていきます。
このブログ記事は4月19日に書いています。
2023年5月15日に
食道胃接合部癌のステージ3と診断された
父(当時66歳)の闘病の様子を
娘目線で綴っていきます。
私の弟たち
弟(長男)→実家暮らし。標準治療反対派で、父の治療には一切関わらないと宣言。
弟(次男)→県外住み。父の選んだ治療に賛成というスタンス。
弟(末っ子)→県内住み。三男。歳の離れた弟。とても頼りになる。父の通院の付き添いなど全て請け負ってくれている。
私が父の入院先に着いたのは、13時55分でした。
急いで受付をしていると、看護師さんに、
「私が電話させて頂いたんですけど、急かすようなことを言ってすみませんでした。」
と謝られました。
いやいやいや。はっきり状況を教えてくださって有難う御座います。
部屋まで案内して頂きながら、
・父の顔色が電話した時点から更に悪くなってること。
・連日の付き添いで長男の顔に疲れが見えること。今夜付き添い出来るなら交互にしてもらえたら良いと思います。
というお話をされました。
ん?今夜?電話で聞いてたより時間ある?次男も間に合うかも?!と思いました。
そして、入室。
部屋には先に到着していた長男と末っ子が居ました。
父は、左に顔を傾けた状態で一生懸命に口呼吸をしていました。
痰が詰まらないようにってことで左向きにしているらしいです。
ハァッ、ハァッとはっきり呼吸音をさせながら、頑張っている父。
うっすら目が開いていたので、私の顔が見えたらいいなと、父の顔の前で、
「お父さん、ただいま。」
と声をかけました。
父からの返事は勿論ありません。
「帰ってきたよ。前に帰る時、またねって言ったやん。ちゃんとまた会えたね。」
少し開いたままの父の左目が、僅かですが更に少し開きました。
目が濁ってる・・・?
目に光がないというか。
もう見えてはない気がします。
長男が、
「お父さん!姉ちゃん帰ってきたよ!姉ちゃん!」
と声かけしてくれました。
見えてなくても、私たちの声は届いてるよね。
この時の私は、父にまた会えてホッとした気持ちが大きかったです。
「間に合ったよ!」と夫にもすぐ報告しました。
でも、前に会った時からたった10日で、こんなにも頬がやせてしまって、体も更に細くなって、呼吸するので精一杯な状態の父の姿に、胸が詰まりました。
荒い呼吸を続ける父を見守りつつ、
弟たちに父の状態を教えてもらいました。