父が2024年4月10日に永眠しました。
ここからは、父との最期の日の様子を書いていきます。
父の闘病記録の公開はゆっくりでしたが、ブログ記事はほぼリアルタイムでその時の気持ちを正直に書いてきました。
ですが、さすがに父がいなくなってからすぐは何も書く気持ちになれませんでした。
このブログ記事を書いているのは4月18日です。少し間が空いているので、落ち着いて書けていると思います。
2023年5月15日に
食道胃接合部癌のステージ3と診断された
父(当時66歳)の闘病の様子を
娘目線で綴っていきます。
私の弟たち
弟(長男)→実家暮らし。標準治療反対派で、父の治療には一切関わらないと宣言。
弟(次男)→県外住み。父の選んだ治療に賛成というスタンス。
弟(末っ子)→県内住み。三男。歳の離れた弟。とても頼りになる。父の通院の付き添いなど全て請け負ってくれている。
4月10日
8時15分発のバスに乗り込みました。
長男に、今から行くよとLINEを送ると、
「今日は一緒にお父さんに会いに行けるから、嬉しい。ありがとうね。」
と可愛らしい返事がありました。
この時は、心配もあるけれど、もう会えないかもしれないと思っていた父に会えるんだという喜びが強くありました。
約2時間後の10時10分ごろ、父の入院先から着信がありました。
バスの中でマナーモードにしていた事と、この時ちょうど乗り物酔いでフラフラで気付きませんでした。
30分後にSAで休憩になった時にスマホを確認して、ようやく着信に気付いて、バスの中から小声で折り返しました。
病院から私に電話があるのは初めての事で、手が震えました。
看護師「折り返しの電話有難うございます。
あの、長男さんから、今日、こちらに来られるって聞いたんですけど、時間を伺ってなかったなと思いまして。何時頃になりますか?」
私「14時半頃になると思います。」
看護師「そうですか。長男さんから状況は聞いてますか?」
私「よくないって事は聞いてます。」
看護師「そうですね。
今、お父さんの血圧が下がってきてて、60とか50くらいなんですね。
こちらに来られたらすぐにお別れになってしまうかもしれないですし、もしかしたら間に合わないかもしれないという感じだと思うんです。
長男さんが毎日、夜も付き添っておられるんですけど、今朝は仕事があるからと帰られて今は誰もいないので、看護師から長女さん来られますからねって声かけして一緒に待ってますね。
気をつけて来てください。」
私は、「はい」「はい」と繰り返しながら、心臓が一気に早打ちしていくのを感じていました。
え?本当?
明日とか明後日とか、まだ猶予があるんじゃなかったの?

即、長男に連絡。
この時、長男は実家にいて、私のバスの到着に合わせて迎えに来てくれる予定でした。
長男はすぐに病院に行くことにして、私はバスを降りたらタクシーで向かうことに。
その後、夫にLINEで連絡。
私「間に合わないかも。」
と弱音を吐くと、
夫「間に合うと思う。」
と一言。
シンプルにたった一言だけ。
なのに何故か、夫に言われると大丈夫な気がするんですよね。少し気持ちが落ち着きました。