トラウマ=PTSDの事なのですが。

 

過去ログに「廃人になったほどの大きな出来事」があったと書きましたが、その時は道も歩けずツレに買い物など、すべてを任せていたのですがトラウマから解放されたきっかけってあります。

 

私の場合上京したのが一番、大きかったのですがまずは「時間がたつのを待つ」事です。

 

当時はすべてが怖かったです。

 

その出来事というのが自分の誕生日に弁護士から書類がきた事でした。

 

私は母方の伯父の養女になっていまして養子縁組解消と養女になっていた7年間、月に40万の仕送りをしていた事の全額返還でした。

 

私、月40万もの大金の仕送りなんてもらっていません。

 

そんな大金、もらっていたら私もツレもうつでゆっくり治療出来て休む事に専念しているし、うつ病の体にムチ打って仕事なんてしていません。

 

これは裁判が進むにつれてわかった事なのですが伯父の内妻が伯父の貯金をおろして自分の子供に仕送りしていたんです。

 

それが伯父にみつかって使い道をきかれた時に私に仕送りしていたと嘘をついた事がすべてのはじまりだったのが真実です。

 

それをあっちこっちで言いふらし、私がお金をたかりに来るとか・・・もう何でもありで実家の近所や伯父の仕事の関係者などに広まり私は道を歩けなくなってしまいました。

 

裁判の間、大変でした。

 

私が自分の通帳、携帯電話の明細、家計簿などの提出・・・とにかく証拠をそろえる必要がありました。

 

そうなると内妻は手渡しで渡してたから証拠なんてないと主張します。

 

結局、長姉の伯母が間に入り、私が自分の事実無根と名誉棄損で逆裁判をかけない事と裁判を取り下げる代わりに、高額な慰謝料をもらう事で養子縁組は解消して和解しましたが、いまだに伯父は私が使い込んだと信じていて、伯父とはそこから会っていません。

 

細かい事をふくめると私は母の一族からも散々、ある事ない事を言われ、私はアタマが真っ白なのを通り越して魂が抜け落ちました。

 

今でも。その当時の事を鮮明に覚えていますし、ふとした時に思い出すと胸がざわざわします。

 

立ち直る第1歩が新たなパートナーとなったうさぎのルナの存在でしたが、バンド好きの友人が(←これをバンギャと呼ぶ)あっちこっちのライブに誘ってくれた事でした。

 

それでも道を歩けないので、すべて車で移動していました。

 

そんな中、私の中で少しずつ気持ちの変化がありました。

 

「もうこんな事は起こらない。

大体、裁判かけられるなんてどんだけの確率だョ!!

交通事故より絶対にないよね」

 

「私は他の人とは違う体験をして少しずつ廃人から進歩している」

 

そう言い聞かせました。

 

 

発想の転換です。

 

 

それで道は歩けるようになりました。

 

それでもトラウマは残っています。

 

スマホは相変わらず2本持ちだし、ポストを開けるのが未だに怖いです。

 

特に誕生日には絶対にポストをあけません。

 

毎年、自分の誕生日がくると嫌でも思い出してメンタルがざわざわします。

 

 

上京してから私はカウンセラーにかかっています。

 

 

最終手段はプロに任せるのが一番だと思いました。

 

 

私は時間の流れに任せて誰かに話しをしてトラウマを癒す方法を考えるのが一番だと思います。

 

道を歩けないというのは生活に支障が出るので、克服方法を考えなければいけませんが、それも無理にしなくてもいいんじゃないかと思います。

 

時間と共にその事実をフラットに向き合う事がいつかできます。

 

その時を待っていてもいいんじゃないか?!

 

そう思います。

 

 

私のトラウマ体験が誰かの役に立てばと思い、廃人時代の事を思い返してみました。