ずっとメンタルのうんちくを書いてきたので、ここで箸休めとして。

 

私は2016年に北海道から上京して9年になります。

 

うつ絶頂期の頃・・・2012年、家族での大きい出来事で私のメンタルが完全に壊れてしまっていました。

 

家族での大きい出来事の時はまだ何とか踏ん張ろうと思っていたのですが、壊れた決定打は当時、飼っていたうさぎの死でした。

 

もう思い残すものなんて何もない。

 

これをきっかけで私は自分の人生をすべて捨てる決心をしていました。

 

廃人一歩手前で生きていく。

 

当時の住まいは私名義の自宅マンションだったのですが、自宅を捨て、車も捨て、人間関係をすべて捨て、スマホも解約して文字通り「引きこもり」をしようと思っていました。

 

日用品のすべてを通販やツレに任せて、仕事も在宅だったので残すのはPCだけにしようと思っていました。

 

仕事も捨てたい気持ちでしたが人生捨てても死ぬって訳にはいかないし、その為には最低限のお金はなくては生きていけないからって感じでしたし廃人の私がツレに食べさせてもらう権利なんてないと思っていたので仕事だけはしなくてはと思っていました。

 

食べる事も忘れ、風呂に入る事も忘れ、パジャマ姿で何日も着たままで起き上がる事も出来ず、唯一の能動的な行動はPCを使って仕事をする事で、それもトイレに行く事も困難な状況でトイレ前の廊下に毛布にくるまってPCをそこに引っ張ってきて、ひたすらPCを動かすだけという生活を2ヶ月ちょっとしていました。

 

外に出る時はうつMAXでどうにもならなくてホリゾンの注射を打ちに(今はそうそうな事で安定剤の点滴や注射はないと思いますが当時は、そんな事はありました)ウチのツレが病院に担ぎこみ、食べる事を忘れてしまった私に、コンビニおにぎりを買ってきてくれて何とか命を繋いでる状態でした。

 

ある日、携帯を解約するために動かない体を引きずってdocomoさんに行く前にふと「うさぎに会いたい」と思いうさぎ専門店にいつのまに足が向いていました。

 

色々なうさぎをみて、うさを飼うのもこれで終わりだからせめて他のうさを見る事で歴代のうさ(死んだうさは2代目でした)との本当のお別れだなと思って泣きたくなるのをこらえていました。

 

その中で1匹の子うさぎに目を止めました。

 

3匹いた中で他の2匹は活発に動いているのに1匹だけ体を丸くして隅っこにいました。

 

店長さんにお願いしてその子を抱かせてもらいました。

 

涙が出来ました。

 

温かい。

 

ケージには子うさぎの父親と母親の名前が貼ってあったのを見て雷に落ちた感じでした。

 

母親の名前が「ピコ」

 

私がはじめて飼ったうさと同じ名前。

 

ピコなんて、そういない名前です。

 

・・・根拠もなく運命をかんじました。

 

気づけばお迎えしていました、

 

・・・このコのために生きたい・・・

 

うさぎは捕食される動物です。

 

誰かが守らないとただでさえ大人しく人見知りするこのコは生きていけないし私もこのコがいたらもう1度、少しづつでいいから立ち直れる。

 

そのコ・・・3代目となったうさ「ルナ」は私と共に上京時も一緒に連れて行き、悪性リンパ腫ステージ4の生きるか死ぬかの時にツレを助けるかのごとく自分もがんになって死にました。

 

その時にふと気づいたのですが、私が人生のピンチの時に私を救うかのごとく命を差し出して、また新しい出会いを経て新しいコと生きていっているな。

 

今のうさぎ「ましろ」は5代目のうさぎです。(ブログのアイコンがましろです)

 

4代目のうさぎ「ひのき」はやはり私が最大ピンチの時に若くして突然、死んでしまいました。

 

ひのきが亡くなった時、私は自分のピンチのたびに死んでいくうさ達に申し訳ないから次をお迎えする事はもうやめようと思いました。

 

ところがツレがそんな私を見て

「命は誰でもいつか尽きる。

SALAのためにみんな命をささげてくれたという事は、それだけSALAに幸せにしてもらったからだ。

だからもう飼わないなんて思うな」

 

・・・と言われて今の「ましろ」と共にいる訳です。

 

私にとってうさぎは何ものにも代えがたいパートナーであり見返りもなく愛情を注げる存在です。

 

今までのうさ達に「ありがとう」

 

そして、ましろにこれからもよろしく。

 

私の事を気にしないで健康で長生きしてほしい。