精神疾患に限らず人生でトラウマが出来たりどん底になったりする出来事があったら誰でも死にたい気持ちになると思うのです。

 

一度、死にたいと思い始めたら自分の価値観や視野が狭くなって「自分には価値がない」「自分が死んでも誰も悲しむ人なんかいない」とどんどんネガティブになっていく。

 

実際に自死を選んでしまった方も一定数います。

 

誰かに「死にたい」と言うとみんな同じ事をいいますよね。

 

「死んではダメだと」「それは逃げだと」

 

でも本人は真剣です。

 

私は不思議と死にたいと思った事はないんですね。

 

でもリストカットと解離性遁走はしゅっちゅうしていました。

 

リスカすると「生きているかんじ」がするんですよ。

 

解離性遁走の時は私自身、記憶がなくてㇵッと気づいたら車にはねられてケガをして道路に転がっていたり(つまり引き逃げされた)道路をフラフラしながら片手にビールの缶を持っていたり、ビジネスホテルの浴槽で酒を飲んだくれてたり(自分の周りに空き缶が何本も転がってたので多分、そうなのかと・・・)中でも一番、怖かったのは気づいたら車を運転していた事ですね。

 

我に返った時は、ひき逃げしてやしないかとゾッとした覚えがあります。

 

ブログや精神科の通院の過程で仲良くなった人の半数近くが「死にたい」と連絡をしてきました。

 

思い留まらせるのに3日、寝ずに説得した事もありました。

 

私も同じ事を言いました。

 

「死んではダメだ」と。

 

そして必ずこう言いました。

 

「今は『死にたい病』にかかっているんだよ。」

 

死にたいと思っている方は「自分が死んでも悲しむ人なんていない」「みんなに迷惑をかけているし、自分のうつの事で家族にも見捨てられてる」

 

その他、「死にたい」という内容には色々とあるんですけど。

 

そうなんです。

 

「死にたい」と連絡をしてくる時はどうにもならないからSOSを出している。

 

つまり深層心理では「生きたい」んだと私は思っています。

 

だから「死にたい病」なんですよ。

 

精神科の医師で「死にたい病」を提唱する方っていないのか?と思った事もあります。

 

「自分が死んでも悲しむ人なんていない」

 

『そんな事は絶対にありません!!』

 

私は一時期、葬儀屋で仕事をしていた事があります。

 

葬儀屋ですから色々な死因で遺体が葬儀屋の霊安室に安置されて通夜、出棺になるのですが生前、若くして病気や事故で亡くなる方と自殺を選んで亡くなった時のご遺族の嘆きようは半端ありません。

 

そして自殺を選んだ遺体に向けてご遺族や友人達は必ずこう言います。

 

「どうして助けてあげられなかったんだろう?」

 

生きているご遺族、友人は自殺をされた故人の事について悲しみ、後悔を背負っていきていかなければなりません。

 

たとえ身寄りも友達もいない方でも悲しむ方はいます。

 

それは精神科の医師や看護師さん達、もしお世話になっているなら役所や福祉の担当の方々です。

 

私は当時の担当医師にふとこんな事をきいた事があります。

 

「精神科の医師をやっていて辛いと思う事って何ですか?」

 

何故、そんな質問をしたのか今でも???なのですが。

 

「それは自殺をされた時だね。」

 

当時の担当医師によると精神科医をやっていると必ずと言っていいほど患者さんの自殺にはぶつかる。

 

そして、最近病院に来ないなと思っていたら、ほぼ何等かの形で自殺したと知る事になるそうです。

 

いくら何十人,何百人の患者を診てきていても、自殺した患者の事は色々と思う事はあるそうですし忘れる事はないと話してくれました。

 

だから必ずいるんです。

 

悲しむ人が。

 

あなたはあなたのままでいい。

 

だめな時だってあなたなのです。

 

明石家さんまさんの「生きているだけで丸もうけ」という言葉は有名ですがまさにそれです。

 

強くなれとは言いません。

 

でも長い人生、苦しみはひとつの通過点だと思うのです。

 

もし死にたくなったら自分は今、死にたい病になっているんだと思ってください。

 

そして誰かに「今、自分は死にたい」伝えてください。

 

あなたが死ぬ事で悲しむ人は必ずいるのですから。