中国磁器の歴史は、本当に古く、2500年前の春秋戦国時代に始まるとされているようです。
特徴は官窯と民窯にわけられ、官窯がその歴史を作ってきました。
(この国らしい、とも言えます。。)
今でも原初の官窯とされるうちの幾つかは発見されていないとのこと。
官窯で、採用されなかったものは、全て壊されて、民に賜げられることは
ありませんでした。
つまり、官のものと民のものは完全に分けられていた、という事です。
近代には入ってからは、官窯と民窯は互いに技術伝達を続けながら発展していったようです。
龍のシンボルも同じく、皇帝のシンボルとされて
民が使うことは許されていませんでした。
皇帝のシンボルとして使われだしたのは、漢の時代の劉邦からとされていますが、紀元前2070年から1600年の最古の王朝、夏の時代からすでに使われ始めていたのではないかとも言われています。
特に五本爪の龍は皇帝の専売特許。
皇帝のお召し物、龍袍は正龍含めて9つの龍。
また、花のシンボルに関しては、菊と蘭を合体させたものではないか、
といわれました。
菊=kuku
(古代の中国の言い方だそうです。ここから日本へ伝わってキク、となったのそうな。)
9は、数秘で完成を表す数字。最大の陽を表します。
菊は99、つまりは最大の陽が重なる音。
中国では旧暦の9月9日は重陽の節句とされています。
陽の重なる日を祝い、邪を祓う。
『菊』は今の言葉では、juの発音。
『久』jiuの音に似て、吉祥の一つとされています。
『九』もまたjiuの発音。
つまりは、9が永遠に続く。
9も、皇帝の数字と言えます。
北京にある天壇は、皇帝が天と会話する場所。
全てが9の倍数で作られています。
極めて個人的な解釈ですが、
『龍』も『菊』も、権力=パワーの象徴であり、
民の器でその意匠が使われた、という事は、
ある意味、これからの民の時代への期待が込められていたのかもしれません。
それが民の器となったような気がします。
個人が主となる時代へ。
もしかしたら当初はそんな理想とともに。
50年代から、景徳鎮では観賞用の器は贅沢品として制限されるようになり、徹底的に生活用品としての”民の器”の生産を続ける事になりました。
そのために、この時期の景徳鎮の技術は停滞する事となります。
この70年代から80年代景徳鎮は、社会主義の理想を掲げた国家として成立していた最後の時代に生まれたと言えると思います。
国営企業が大量生産した、おそらく当時はどこの家にも1枚くらいはある、そんな器です。
その国営企業も解放政策が進行した90年代に解体されて、この種の景徳鎮の器はいまは作られていないようです。
様々な功罪とともに社会主義は衰退していきましたが、
その時代の理想を担った、ある意味では社会的な遺産とも言えるかもしれません。
また、景徳鎮の特徴の一つに、材料が挙げられます。
カオリン、という二酸化珪素を多く含む素材が使われているので、高温で焼き上げることで固くなります。
石英が長年かけて風化したクレイだそうで、カオリナイトとも呼ばれている粘土鉱物の一つです。
石を焼く、と言ってもいいくらいなのだとか。
石英が多く含まれているから、半分クリスタルとも言えるのかもしれません。
不思議とエネルギーを感じる理由もわかるような気がします。
ヨーロッパ中が欲しがった中国の磁器。
かの大英帝国もお茶の木は盗めても、カオリナイトは盗めなかった(笑)
そのカオリナイトも現在は景徳鎮付近では枯渇し始めていて、現在では希少なカオリナイトにその他の材料混ぜて生産されていると言われています。
そういう意味でもこの時代の景徳鎮はとても貴重な歴史の遺産なのではないかなぁ、
個人的には思っています。
ここでは私の景徳鎮の意匠においての表面的な解釈で終わります。
でも、『龍』と『菊』について調べていくうちに、
実はそこにもっともっと深い意味がある事を知る事になりました。。
女神の系譜につながっていくので、つづきます〜。



